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日常のヒトコマ
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- 「なぁ、兄ちゃん。ちょっといいか?道を訊きたいんだが」
ゴールデンウィーク初日。
俺は買い物をしようと近くのスーパーへ向かっていた時に声を掛けられた。
声のした方を向くと、濃いスモークガラスに覆われた艶のある漆黒の高級車が停まっている。
車の窓から高級そうな黒のスーツを着た強面の方がハンドルを握ってこっちを見ていた。
一瞬ビビッたが、動揺はなんとか隠せたはずだ。
いくら相手がその筋の人だからといっても、相手の顔を見て驚くのは失礼だからな。 俺はそれで散々嫌な思いをしているわけだし。
極力表情を変えずに、心を静めて平静に対応しよう。
さっきの声の掛け方からすると、この人は道を聞きたいだけのはずだからな。
この人の行き先を俺が知らなければ、それでこの縁は終わるはずだ。 だが、俺が答えられなかったら他の誰かが犠牲になる恐れがある、か。
よし、もしわからないところだったら近くの交番までの道順を教えよう。
「わかるところなら。どこへ行くんですか?」
「XXXXXっていうアパートなんだが、わかるか?」
くそっ!なんてことだ。そこは知ってるぞ。
この前、たまたま通った道に確かそんな名前のアパートがあったはずだ。 だが、口で道順を教えられるほど詳しくは覚えてねぇ。
やっぱり交番を教えるべきか。 …しょうがない、誠実に対応しよう。
「一応知ってはいますが、道順を説明できるほどハッキリとは覚えていないんで…」 「そうか、じゃ大体で良いから教えてくれるか?」
ま、待ってくれ! 違うんだ! ちゃんと最後まで話を聞いてくれ!
わからないから交番までの道順を言おうとしたとこだったんだ!
はぁ、そんなこと言ってももう遅いんだろうな。 仕方ないか。
知ってるところまで教えて、さっさとどっかに行ってもらおう。
「あ、はい。ちょっと迷ってしまうかもしれませんが、それでもよければ…」
「あぁ、それでいい。迷ったって構わんから頼むわ。とりあえず車に乗ってくれ」 「えっ、あ、はい。じゃあ失礼しま…」
違うって!
大体の道順を教えて終わりのはずだ! それがどうして…。 平静を装いすぎたか?
話の流れとはいえ、こんな車に乗るなんて言っちまった! やべぇ…。 なんとか断わ…、うっ!ド、ドアが開いちまったぞ…!
これじゃ断ることもできん…。 今更わかりませんじゃ済まなそうだし、覚悟を決めるしかないのか…?
こんな姿、学校の人間にでも見られたら、さらに皆との距離が広がっちまう。 ここで迷うほど時間が経って、この人にも迷惑かかるし、目撃者も増える。
それは誰にとっても都合のいいことじゃないな。
「ほら、早く乗ってくれ。今も少し時間に遅れててな」
「はい、わかりました。失礼します」
…乗っちまった。 ヤバイな。
俺の心臓は破裂しそうなくらいバクバクいって、今にもオーバーヒートしそうだ。
色んな経験をした方が器の大きな人間になれるんだろうが、俺にはこんな経験いらんぞ。 …あぁ、動き出しちまったよ。 もう逃げ場はないか。
俺の隣にはまた怖そうなお兄さんが乗っている。 運転している人より年は若そうだが纏っている空気が異常な気がする。
これは関わっちゃダメだな。 でもこの人がさっきドアを開けてくれたのか? あぁ、そうか。俺を逃がさないためか…。
このままじゃ気が滅入っちまいそうだ。 なんか違うことでも考えるか。 身近にあるもので…、やっぱここは車だな。
この車について考えてみるか。
高級車なんて初めて乗ったが…、なかなか凄いもんなんだな。
車のことはよくわからんが、各部の素材が吟味されているんだろう。 統一された落ち着いた内装で、居心地も座り心地も良い。
座ったときの感触は…、うおっ、背中でなんかが動いてるぞ! なんだこれは!?
「わざわざ道案内してもらうんだ。マッサージくらいサービスするさ」だと。 この車のシートはマッサージ器付きなんだろうか。
ここで「この人、良い人かも」なんて思ったら騙されるんだろうな。
悪そうな人が優しかったら、そのギャップで良い人に感じたりするもんなんかもしれんな。 実際どうなのかはわからんが。
その後も運転している怖そうな顔をしたおじさんは…、いや、お兄さんはその風貌からは想像できないくらい優しく気さくに話しかけてくれた。
口調はキツイが兄貴という言葉がよく似合いそうな人間だった。 利害関係がないからだろうか。 部外者には優しいのだろうか。
まぁ道案内しているだけなんだから、何かされても困るんだがな。 もしかして同類かと思われたのかもしれんが、それは考えないでおこう。
そういえば北村以来じゃないか?俺の顔を見て目を逸らさない人間は。 …いかんいかん。 こんなところで感動してどうすんだ。
落ち着け!高須竜児! この人らはただ目的地までの道を知りたいだけだ。 俺はこれ以上関係ないぞ。 よし、道案内に徹しよう。
少しだけ道を間違えちまったが、十分くらいでなんとか目的地に着くことができた。 家からも大して離れていないので、ここで別れるとしよう。
もし家まで送ってくれると言ってくれたとしても丁重にお断りするべきだな。 何があるかわからんし。
隣に座っていたヤバそうなお兄さんと運転していたお兄さんの二人と一緒に車から降り、俺は帰ることにした。
このお兄さんたちは俺が関わっちゃいけないことをしに行くのかもしれない…。 そう考えると胸が痛むな。
でも結局はこうなる運命なんだろうから、俺にはどうしようもない。 とはいえ、ここは割り切っていいんだろうか…。
何かがつっかえるがしょうがない。 俺にできることはないか…。
「じゃ、俺はここで失礼します」
「あぁ、悪かったな。良かったらこれ取っといてくれ」
なんだ? 道案内しただけで万札?
これは礼というより面子を気にしたのかもしれん。 一度断ってみよう。
「いえ、そんなつもりじゃありませんので」 「いいから取っといてくれ」
やっぱり面子を気にしてか?
また断りたいところだが、断ったらこの人の機嫌が悪くなりそうな気がする。 しょうがない。 受け取るか…。 …いや、ダメだ。
こんなところでこういう方々と繋がりを持ちたくはないし、よく見たら万札には白くて普通の紙より厚く質の良い紙が包んである。 もしかして名刺か?
俺をスカウト!? そういう方の名刺は見せるだけで脅迫になるとかいう話をどっかで聞いたことあるような…。
いくらなんでも本業の方に目を付けられちゃヤバイだろ。 …だめだ、関わっちゃいかん。 やっぱり断ろう。
「道案内しただけなのにもらえませんよ」 「そうか。ま、そうだな。じゃ礼だけ言わせてもらおうか。兄ちゃん、ありがとな」
「いえ、気にしないでください。では、失礼します」
ふぅ。 久しぶりに嫌な汗かいたな。
だがこれでこの人たちとの縁は切れたはずだ。 俺のことは忘れてくれるとありがたい。 帰るか。 いや、スーパーに行くとこだったな。
ここからならいつものスーパーより、あっちのスーパーの方が近いかもな。 久しぶりに行ってみるか。
休みが明けるとクラスの雰囲気が変わっていた。 というか俺がクラスに入った途端、教室の温度が下がったような気がするんだが…。
俺に近づく人間がいないのはいつものことだが、どういうことか距離がかなり遠くなっている気がする。
放課後までに話したのは…いや、目を合わせたのは北村だけだったな。
先生からも敬遠されているようで授業中当てられることはなかったし、俺のいる空間を眺めることさえなかった。 生徒はというと、いつも通りだな。
北村以外は俺に近づこうとしない。 そんなに嫌われていたのか? 俺は何もしていないのに…。 それになんだ?
『放課後、話があるから生徒指導室で待っている』と副担任に言われた、って北村がさっき俺に言ってきた。
副担任なんだから自分で言えばいいものをなんで北村に頼んだんだ?
呼び出された先が職員室じゃないところが怪しいわけだが、特にやましいことはないし、呼ばれたら行くだけだ。
生徒指導室へ行くと先生たちの視線が一瞬だけ凄い勢いで突き刺さって来たが、その後は割れ物を扱うように丁寧な対応をしてくれた。
急に優しくされるのってこんなに怖いものだと思わなかったぞ。 あと俺を見る目がいつもと少し違う。 怯えている先生もいたような…。
またか? というか生徒だけじゃなくて先生にまで怖がられてるのか?俺は。 それも生徒を指導する立場の先生にまで…。
何か冤罪を言い渡されそうな気がするな。 それくらいこの部屋の空気は硬い。 かなり張りつめているような…。
先生たちが気を張るほど大きな事件でもあったのだろうか? ってことは俺はその被疑者か!?
いくら疑問を抱いたとしても俺は従うしかないからな。 それに俺に対する誤解なら解けば良いだけだ。
そう思っていると、奥の反省室のような部屋に通された。
…生徒指導室で何かを言われるんじゃないのか? 反省室か…。
こんなとこ初めて入るぞ…?
内開きのドアを開けると空疎な空間が広がっていた。 机と椅子があるだけのシンプルな小さい部屋。
余計なものを一切取り払った部屋の中に俺がぽつんと一人だけ。 そんなに悪いことをしたことになっているんだろうか?
話を聞いてみなきゃわからんからが、ここは冷静になって誤解を解く準備をしておこう。
しばらくすると副担任である恋ヶ窪ゆり先生が入ってきた。
どうしたんだろうか。 先生は緊張しているように見える。
というかあからさまに怯えている。 肩が…、いや全身震えてないか? それに瞬きの回数が異常なほど多い気がするが、大丈夫か?
俺のことが怖いなら、そんなに無理せんてもいいと思うが…。 先生は机を挟んで向こう側に座り、恐々と俺の顔を見ながら震える唇を動かし始めた。
「あ、あのね〜、高須君。 も、もしかして、進む道べき道を迷ったりしているのかな〜?
ちゃんと考えて道を選ばなきゃ親御さんも心配しますよ」 「はぁ」
なんの話だ? 進路調査は二年になってからだと思ったが。
もしかして知らない間に俺以外はみんな調査票を提出していたりしたのか? でもそれじゃこんなところに通される理由にはならんよな。
「ゴ、ゴールデンウィークにね、先生、見ちゃったんだー。 高須君がその筋の人と一緒に高級車から下りてくるところ。
ちょ、ちょ〜っとショックだったんだけど、これは教師として放っては置けないからこうして来てもらったんですよ〜」 「あぁ、あれは…」
なんだ、そのことか。 これならすぐに誤解は解けるだろう。 あれはただの道案内だ。
ちょっと恥ずかしくなったせいか、俺は無意識に右手で前髪をいじろうとしたみたいだ。 そうしたら突然先生は怯え始めた。
「うわわあああぁああぁああああ!!!ごごごごごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
そそそそそそんなこと独身三十路の私なんかに言われたくないわよねでもね私も先生として言わなきゃいけないの副担任とはいえ自分の受け持つクラスの生徒がもしクラス
が違ったとしてもうちの大切な生徒が間違った道に入って行くのを黙って放っておくわけにはいかないのだから考え直そう?ね?そういう人たちとの関係を築いておくと後々
大変なことに巻き込まれるかもしれませんよだから早いうちに手を打っておきましょう?わわわわかりましたか?高須君」
「…はい」
先生は顔を背けながら力いっぱい目を閉じ、自分の顔を護るように手をかざし身体を小さくして震えながら早口で捲くし立てた。
俺が殴りかかるとでも思ったんだろうか。 そんなに俺が怖いのか?この先生は。 何もしていないはずなんだが…。
しかし、ここまで怯えられるとちょっと傷つくな。 どうしたらいいものか…。
「そそそうですかあなたの気持ちもわかりま…。えっ?
………え〜っと、おほん。よ、良かったです。先生は高須君がわかってくれると信じてました。
もうああいう方と関わらないよう気をつけてくださいね。いいですか?」 「もちろんです」
この先生は俺のことなんて全く信じてなかったようだが…。
さっきまで幼稚園児でもわかるような態度で俺のことを見て怯えていたのに、悪びれもせずにそんなことを言える先生が少し羨ましい。
「で、ではこれでお話は終わりです。じゃあね、高須君。気をつけて帰るんですよ。
なんなら先生が送っていきましょうか?親御さんとも話さなければいけないかもしれませんし。
あ、それから先生はまだ三十路にはなっていませんからね。それだけはキチンと訂正しておきますからしっかり覚えておくように」
「ああ、はい。あの、さっきの話は全部先生の誤解ですから忘れてください」
特に誤解を解く時間をもらえなかったわけだが、これで良かったのか?
結局、俺はその筋の人らとの繋がりを否定できなかったわけだが…。 一応誤解は解けたと考えていいのか、これは。
もう解放されるわけだし、いちいち説明することもないか。
「じゃあ、俺はこれで失礼します」
反省室を出た俺を迎えてくれたのは生徒指導の先生たちの好奇や恐怖を乗せた視線だった。
恋ヶ窪先生の叫び声と「ごめんなさい」と連続して言っていた声が聞こえたのかもしれん。 あの声はでデカかったもんな。 また誤解か。
誤解をされた理由があれじゃ、怖がられるのは無理もない。 ここでも何かを言った方がいいんだろうか。
あの先生がちゃんと言ってくれるだろうから、まかせるとしよう。
今回の誤解は顔だけじゃなくて、俺の行動も伴っているわけだから簡単には収まらないかもしれんな。
俺はいつまでクラスで孤立しなきゃいけないんだろうか。 幸い、北村がいてくれるから完全に一人というわけじゃないのが救いだな。
高校入ってすぐに『ヤンキー高須』って言われるようになった。
でも今回の噂が広がりでもしたら『ヤクザの舎弟』とか『組長の親戚』とかになっちまいそうだな。
高校入学にして一ヶ月。
これから俺の高校生活はどうなっていくんだろうか…。
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