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煮豆〜切なくて〜
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- いつもの学校風景、いつもの昼休み、いつもより少し増えたメンバー。
そんな中、竜児の隣に座る大河は不機嫌だった。
「んー、やっぱり高須くんのお弁当美味しい!最近、お昼が一番楽しみになっちゃったみた〜い。
もう、高須くんの、せ・い・な・ん・だ・か・ら☆」
隣に座る亜美からの賛辞を受け、「おう」と短く返事をするも、どことなく嬉しそうな竜児。
「そうそう!高須くんのせいで、ファミレスのメニューが超超超!ショボく感じるようになったんだけどぉ」
大河の向かいに座る麻耶の不満らしい言葉は、しかしただの誉め言葉でしかない。 竜児の笑みが二割増になった。
大河の機嫌は二割減だが。
「あたしも料理に自信あったけど、高須君のお弁当食べて驚いちゃった。 ちょっと悔しいかな、ふふ」
亜美の向かいに座る奈々子は楽しそうに笑み、綺麗な手付きで卵焼きを口に運ぶ。
ゆっくり咀嚼し、次第に奈々子の頬が緩んでいくのが、他からも確認できるくらいだった。
竜児の目尻が凶悪なほど吊り上り、自らの手に堕ちた哀れな生け贄共を嘲笑…っているわけではない。
嬉しさが隠せないくらい、表情に出ただけである。
「いや、香椎の料理も十分美味いぞ。この唐揚げ、手作りだろ?綺麗に揚がってるじゃねぇか」
そう言った竜児の手には、いつもとは違う、ピンク色の小さめな弁当箱。 普段竜児の使っている弁当箱は、奈々子の手元にあった。
竜児の言葉を聞いて、奈々子はパッと嬉しそうに表情を変えた。
「あ、気付いてくれたの?今日は上手くいったから、結構自信作だったの。
冷凍食品だと思われたら、どうしようと思っちゃった」
「この味は冷凍食品じゃ出せねぇよ。てか、冷凍食品と比べるのは香椎に失礼だろ」
竜児のストレートな誉め言葉に、奈々子はいつものように笑うもほんのり頬を染めた。
大河の箸に挟まれていたご飯が、真っ二つに切られて落ちた。若干、箸の形が歪み始めている。
「高須、その煮豆を少し分けてくれないか。ご飯とおかずの食べる割合を間違えてしまったようだ」
「おう、好きなだけ持ってけ。正直、少し作りすぎた」
向かいに座る北村に、いつものようにおかずを分ける。
- 亜美に弁当を作る約束をした日から、早一ヶ月。気が付けば、作る弁当の数は最大4つになっていた。
約束した翌日から、竜児は早速三人分の弁当を拵えていき、亜美に学校で手渡した。 その日の午前中。
普段は休み時間爪の手入れやメイクを整えたり、授業中も退屈そうにしている亜美だが、
そわそわと弁当をしまった鞄を見たり、4限目になるとちらちら時計を確認したりと落ち着かない。 チャイムが鳴り、教師が授業を切り上げたと同時。
いそいそと鞄から弁当を取り出して、自席に麻耶と奈々子が来るのを待っていた。
(犬だ…) (チワワね…)
その時、麻耶と奈々子の心はシンクロし、大河の気持ちが少しだけ理解できた。
麻耶と奈々子は、もう誤解はないとはいえ『あの』高須竜児が作った弁当は大丈夫なのかと亜美を心配した。
しかし、一口目を食べた時の、あの亜美の幸せそうな表情を見た瞬間、余計な心配だとすぐに察した。
その日1日、それだけでも亜美は機嫌が良かったはずだった。 亜美が竜児に弁当箱を返しにいった時、少し残念そうだったのを奈々子は憶えている。
だから、席に戻ってきた時の亜美が今までにないくらい上機嫌だったのに驚いた。 話を聞くと、亜美は弁当を作ってもらえるのは今回だけだと思っていた。
が、弁当箱を返しにいった時、竜児から思いがけないことを言われた。
「よし、明日の弁当は川嶋のリクエストを聞くぞ。何かあるか?」
つまり、元々竜児は亜美の分もこの先作っていくつもりだったらしい。
亜美が素の感情をここまで出す料理に、奈々子は興味をもった。
しかし、あんなに嬉しそうに食べる亜美からもらうのも、少し躊躇する。 奈々子は、どうしようかと悩んでいたが、案外あっさりと解決した。
「ねぇねぇ亜美ちゃん!今度少しだけでいいから、お弁当のおかず交換しようよ」
(麻耶、ナイスよ!)
こんな感じで、うまいこと(亜美は相当渋っていたが)乗じた奈々子だが――後悔した。
言わずもがな、竜児の弁当の出来に、奈々子のプライドはいとも簡単に破砕された。
片親であり、今の今まで料理を一任してきて、少なくとも回りと比べたら料理には自信があったのだ。
しかし、亜美から貰ったたかだか煮豆一つで、井の中の蛙であることを知らされたのだ。 その心中は計り知れない。
ちなみに、麻耶は「嘘、マジ?ありえない…」と目を丸くしていた。 その日一日、
竜児は強いオールレンジ視線を受け、その眼をギラつかせていた(困っていただけ)。
奈々子が週一回弁当を交換しようと言い、麻耶が週一回弁当を作って欲しいと言ったのは、翌日だった。
突然の申し出に竜児は面食らったが、自分が認められているようで、良い笑顔で頷いた。
- それが面白くない人物が一人。大河である。
作る人数が増えたことで、自分の好きなものだけが入ることが少なくなった。
それだけでも不満なのだ、が。
――ばかちーがやたらと竜児にくっつく。イライラする。
――木原麻耶がやたらと竜児の料理を誉める。イライラする。 ――エロボクロのお弁当を竜児がやたらと美味しそうに食べる。イライラする。
しかし、それぞれはひとつの理由に過ぎない。大河が一番納得できないこと。 我儘にも、しかし大河らしい理由である。
竜児の作るお弁当を食べられるのは、私だけのはずだったのに。 今まで竜児は、私のためだけにお弁当を作っていてくれたのに。
私だけのものだと、思っていたのに。
大河は、竜児に酷く裏切られたような気持ちになっていた。更に、その不満は徐々に大きくなっていった。
そのせいか、最近の大河が弁当を食べているとき、終始不機嫌だった。
そんな大河を、竜児は不安げに見る。
(最近どうしたんだ、大河のやつ。あんな顰めっ面で弁当食って、何か気に入らないおかずがあったのか?)
そこに、大河の様子を見て、おもちゃを見つけた子供のような目をする少女が一人。川島亜美(モデル)である。
いつものように、からかいにいくが…
「あ〜☆もしかして、あれ?『竜児のお弁当はあたしだけのものだもん!』とか、思ってたり――ふがっ?!」
次の瞬間! なんと、凶悪且つ細い二本の指は、亜美の鼻に突き刺さっているではないか。 これには、周りの学友達もビックリ仰天。
ただちに、大河は竜児に取り押さえられ、亜美は(モデルとしての)一命を取り留めた。
『もう二度と、手乗りタイガーをからかうような真似はしないわ』
後に、亜美はこう語
「るわけゃねーだろ!?なにすんだよ、くそちびタイガー!!あんた、よりにもよってまた鼻の穴を…!」 「黙れ、そして腐れ、この色惚けチワワ」
大河は、何事もなかったかのように弁当を食べ続ける。今が何かを喚いているが、全く意に介さない。
五月蝿いチワワを黙らせ、もう食事の邪魔をする馬鹿はいない、と安心していた大河。 しかし、それは大きな間違いだった。
- 「逢坂は、高須の弁当が周りに取られた様な気がしたんじゃないか。だから、あまり面白くないんだろう」
突然確信をついた北村に、竜児、亜美、麻耶、奈々子の視線が集まる。 そして、申し合わせたかのように、四人の視線は大河に向いた。
大河は耳まで真っ赤にし、箸を持つ手どころか、全身わなわなと羞恥に震えている。
大河が何と答える必要もなく、体で意を表していた。そんな大河に、竜児は妙な充実感を感じた。
ヤキモチ、とは少し違うかもしれないが、たかだか自分の弁当に独占欲を出した大河が嬉しかった。
ハッと、大河は周りを見渡し、妙に微笑ましい視線に気付く。慌てて大河は弁解しようと
「ち、ちちち、違っ、違っへあっ」
したが、情けない大河の声と共に、その箸から摘まんでいた煮豆がつるりと滑り、柔らかな弧を描く。 それは、北村目掛け飛んでいった。
不意に、竜児の脳裏にあの日の悪夢がフラッシュバックし、眼をかっぴらいた。
その瞬間を、竜児は確かに見た。北村が、位置を調整するかのようにほんの少しだけ左にずれた。 そして、『何故か』上向いたのだ。
「あ、あぁ…!?」
北村の左鼻穴に、それはゆっくりと舞い落ちる木の葉のように、そっと添えられた。
音はなく、まるでそこが自分の居場所だと言わんばかりに鎮座し、己の存在を主張しているようで。
北村は満足したように、とびきりの優しい表情を大河に向け、口を開いた。
「逢坂。逢坂は、いつも高須の手料理を当たり前のように食べている。
それは、当たり前のようで、とても幸せなことだ。そんな幸せは、誰もが望むことだ。
何より、高須自身が喜んでいる。高須も、皆に弁当を食べてもらえて幸せなんだ。
早起きして弁当を作り、皆が美味しそうに食べる。それを見るために、高須は頑張っているはずだ。
だから、逢坂。そんな顔で食べず、笑って食べようじゃないか!」
教室が静まり返り、生徒の目は一人を除き、全て北村に向いていた。
そして、誰かが呟く。
煮豆大明神が降臨された、と。
北村は、確かに間違った方向に歩み始めようとしていた。
――一度ならず、二度までも…俺の大切な煮豆(こども)が、煮豆が…あ、あぁ、ぁあぁ…!
それから暫く、竜児は煮豆を作ることはなかった。
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