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×××ドラ
- 「おっかえり〜、本日もお勤めご苦労さま! シャバの空気はうめぇかい?」
玄関を開けると、櫛枝が満面の笑顔で出迎えてくれた。
仕事を終えて帰宅して、櫛枝のこの笑顔を見て、それでようやく家に帰ってきた気になれる。 最近だと特にそうだ。
「おぅ。ただいま、櫛え・・・・・・・・・」
靴を脱ぎながら返事をしようとして、途中で止まってしまった。
しまった、また・・・・・・やばい、櫛枝の顔から笑顔が消えている。 いや、顔は笑ってるけど目だけまったく笑ってない。
流し台の方に向けていた体をこっちに向けた櫛枝が、腕を組んで仁王立ちになる。 この後は・・・・・・
「・・・も〜・・・そろそろ名前で呼んでほしいんだけどな」
やれやれっていう風に手を広げ、首を振る櫛枝。
最早見慣れたポーズに、耳にタコができるほど繰り返したやりとり。
こんなやりとりをして、ここが我が家だと妙に実感できるほどになってる俺も、かなり櫛枝に染められたんだろうな。
「まったくー・・・昨日今日から一緒に住んでるんじゃないんだからね? しっかりしてくれよ〜。
私なんて、ちゃ〜んと高須くんのこと高須くんって・・・はっ!?」
自分も俺の名前が言えてない事に気付いた櫛枝が、大げさに両手で口を押さえた。
悪いかなと思いつつ、ついつい苦笑が漏れるのを我慢できなかった俺を見て、更に汗まで流し出す。
今日こそはって思ってたんだろうけど・・・あのリアクション、きっと素で間違えたな、櫛枝。
「・・・え〜っと・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・う〜んと・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・へたこい」
どんな風に誤魔化すのか見ていると、櫛枝が落ち目の芸人みたいな動きを始めたから慌てて止めた。
お腹だって大分大きいんだから、そろそろそういうのは勘弁してほしい。
体当たりって言うか、体を張るのにも限度があるのを何度説いても、櫛枝はテンパるとたまにそういうのを忘れてしまう。 その度に俺の寿命が縮まる思いだ。
・・・・・・お腹の子供の寿命も縮んでやしないだろうか? ・・・そ、そういうのを考えるのは止しとこう。 今は目の前の櫛枝をどうにかしろ。
「言えてた! 櫛枝はちゃんと言えてたぞ、高須くんって・・・それはもうしっかりとした発音で・・・・・・」
「・・・それ、わざと言ってるの? ・・・・・・高須くんのいぢわる・・・」
くそ、失敗した・・・・・・
ジト目で見てくる櫛枝の目に涙が・・・お、俺そんなに酷い事を言ったか? 言ってないだろ? 精々セリフのチョイスを間違えた程度で・・・
そうは思ってても、涙目で見上げられていると軽く罪悪感が湧いてくる。
そして思い知らされる。
・・・・・・俺は一生この目には勝てない・・・・・・
「・・・そんなつもりじゃ・・・」
「そんなつもりじゃないんだったら・・・どういうつもりだったわけ?
私が名前で呼んでほしいって言ったすぐ後に、高須くんのことを高須くんって呼んじゃったことをネチネチと・・・
まるで姑の如く突いて突いて突きまくるつもり以外に、どんなつもりだったの!?」
いや、訂正した方がいいな。
・・・・・・俺は一生櫛枝に勝てない・・・・・・ 尻に敷かれるでもいい。今が正にその状態だ。
「だ、だから俺は・・・櫛枝の事をだな」
尻に敷かれるダメ亭主よろしく、言い訳を始めてあたふたする俺。
みっともない事この上ないと自嘲しつつ、それでも今この誤解を解けるならと必死に弁明していると
「・・・分かってるって。高須くんがフォローするつもりで言ってくれたってこと、私はちゃんと分かってるから」
不意に、口元に手を添えてクスクス笑い出した櫛枝がそう言った。 ・・・櫛枝をフォローするつもりが、逆に櫛枝にフォローされちまった・・・
俺はホントにダメ亭主か。
「櫛枝・・・・・・」
「・・・私も高須くんも、慣れるまでもうちょっと時間が要りそうだね、これじゃ」
───うちで一緒に住む事になった時に色々と決めた約束事の中で、 櫛枝が「お互いを名字じゃなくて名前で呼ぼうよ」というものを提案した。
俺が18になったら戸籍上だって家族になるんだし、反対する理由なんてあるはずもないから、 その日からお互いがお互いを名前で呼ぶ事に決めた。
決めたのだが・・・ いざ櫛枝を目の前にするとどうしても恥ずかしくなるのと、意識していない時はつい今までの癖で「櫛枝」と呼んでしまう俺と、
「これだけは絶対にするからね! 絶対だかんね!」と、提案する時に頑として譲らないという姿勢でいた櫛枝も・・・・・・
櫛枝がうちに来てからしばらく経つが、結局今みたいな事を繰り返しているだけで、まともに名前で呼べた事は一度も無い気がする。
ただ、今みたいになる度に何か言って、雰囲気を良くしようとしどろもどろになっている俺をからかう櫛枝という流れみたいな、
所謂『お約束』みたいなものもできてて・・・正直、今はまだこのままでいいって思ってるところがある。 俺も、きっと櫛枝も。
「・・・・・・悪い、櫛枝・・・・・・」
とりあえずさっきの櫛枝の言をとれば「姑の如く」な事には謝っておこう。
俺にはネチネチと櫛枝をいじめるつもりなんて無かったけど、そう取られたんなら謝って、
それで今日はこんなやりとり終わりにしてとっとと飯を・・・・・・
「はえ? ・・・・・・高須くんが謝ることってなんかあったっけ?
・・・ひょっとして浮気!? いきなりのカミングアウト!?
・・・・・・そしてこの先、身重の身体で高須くんを満足させられない私は家政婦同然に・・・・・・そんなのいやさねー!」
だが、櫛枝はまだ続ける気満々でいたらしい。
「はぁ!? ち、違うぞ!!
俺はそんな、謝ったのはやましい事があるからじゃなく・・・て・・・・・・」
「へ?」
「あ・・・いや、その・・・・・・」
咄嗟に反応してしまってからその事に気付いた。
しまった、露骨に否定しすぎた・・・櫛枝のやつはまだ俺をからかって・・・
最後まで落ち着いて聞いてれば、櫛枝が俺をま・・・満足させるだのとか、十分冗談だって分かったものを・・・・・・
これだと、俺が図星を突かれて慌ててるようなもんじゃないか。
見ろ、櫛枝のやつがポカーンと口開けてこっちを・・・だめだ、見ていられない・・・早とちりした挙句に怪しまれるような事言うなんて最悪だ。
目を合わせているのも恥ずかしい。 ・・・・・・と、とにかくここは誤解を与えちまったかもしれないから、そんな浮気なんてしてないことを・・・そうだ。
逸らしていた目線を、今度は俺の方から櫛枝に合わせる・・・櫛枝はどこか上の空って感じだ。
もしかしたら怪しすぎる程動揺していた俺を疑って・・・もしそうなら、早く言わないと。
「き、聞いてくれ櫛枝・・・・・・お、俺は、櫛枝の事が一番・・・・・・その・・・大切なんであって・・・」
「・・・・・・・・・」
「櫛枝以外は目に入らないっていうか・・・・・・それに櫛枝のお腹には・・・だから、浮気なんて絶対しねぇよ。
したこともないし、これからだって・・・」
「・・・・・・・・・」
よし、言い切った。
かなり恥ずかしいけど、後は誤解の発端になった事をキチンと説明すればいいはずだ。
「あとな、俺が謝ってたのはさっきの」
「・・・・・・・・・・・・プッ」
プッ?
「プッ・・・プハッ、アハハハハハハハハハハハハハ!
た、高須くん顔真っ赤! も〜真っ赤っかだって! し、しかも、ものすっごい勢いで赤くなってって・・・クククク・・・
今の高須くん、茹でたタコよりもよっぽど・・・ちょ、アハ、アハハハハハハハ!! だ、だめ、こっち見ないで、お腹苦しい〜〜」
突然櫛枝が笑い出した。 笑い出したなんてもんじゃない、大笑いだ。
それも泣くほどの・・・・・・目が合っただけで、肺から空気を全部搾り出すような勢いで・・・・・・
「・・・・・・・・・」
「アハハハハハ・・・ハハ、ハ・・・あ、ありゃ?」
「・・・・・・・・・」
掴んでいた肩から手を離して、慌てて櫛枝に背を向けた。
こっちは真剣に・・・そりゃあ、いつも通りのおちゃらけのつもりだったんだろう櫛枝の冗談に気付くのに一瞬遅れて 本気で弁明してた俺も俺だけど・・・
冗談だって事に考えがいって、途端にどんどん顔が赤くなってく自覚もあったけど・・・
それでも櫛枝に誤解されるのも耐えられないから肩まで掴んで引き寄せて、大真面目に恥ずかしい事言ったってのに。
いくらなんでも、腹まで抱えて笑い出す事ねぇじゃねぇかよ。 しかもなんだよ「茹でダコよりもよっぽど」って・・・「こっち見ないで」って・・・・・・
・・・そもそも最初に謝ってたのだって、さっき櫛枝が「いぢわる」なんて言った事に対してだな・・・なのに櫛枝ときたら・・・櫛枝のやつが・・・
ポスン
やり場のないやるせなさと、のた打ち回りたい程の恥ずかしさを抑えるためにグチグチと頭の中で言い訳と愚痴を繰り返していると、
背中に誰かが寄りかかってくる。 今この家には俺と櫛枝しかいないし、なんとなく覚えがあるような柔らかい物体が二つ背中に・・・まぁ、櫛枝だよな。
「ごめん、ちょっと笑いすぎちゃったね・・・怒ってる?」
「・・・そんな事ねぇよ」
怒ってる訳じゃない。
俺はただ、消えたいほど恥ずかしいだけだ。
「ホントに?」
「・・・・・・おぅ」
「・・・そっか」
背中に寄り添っている櫛枝が、以前に比べれば少しだけ・・・
お腹の中にいる赤ん坊が大きくなった分、少しだけ重くなったように感じる櫛枝が更に体を預けてきた。
「あのさ、笑っちゃったのは私もほんと〜に悪かったって思ってるんだけどね・・・ あれって高須くんも悪いんだよ」
「・・・櫛枝がそう言うんなら、そうなんだろうな」
「うん、そうそう。高須くんも悪い・・・いやぁもう全部高須くんのせいだね。
みんな高須くんが悪い。この私が言うんだから間違いないよ」
「・・・・・・・・・」
謝ってきたと思ったら、突然俺の方にも非があったと言う櫛枝。
それはそれで別にいい。俺自身、変な風に早とちりなんかしたからこんな事になったんだって思ってる。 でも、今櫛枝が言いたい事はなんなんだ。
「・・・・・・だって高須くん、私が冗談半分で浮気してるのって聞いたら必死になって否定するしさ・・・肩まで掴んで引っ張って。
あれって、あれだけ動揺してたら逆に怪しくなるよ。マジだったのかい! って」
「だから、あれはだな」
「だけどさー・・・高須くん、すぐに変な顔して真っ赤になっちゃって・・・そこで私も気付く訳なんだな。
『お、高須くんやっと冗談だって分かってくれたかな? んん〜? じゃあ今の冗談本気にしちゃってたの?』って」
「・・・・・・・・・」
櫛枝には全部お見通しだったらしい。 俺の顔はそんなに考えてる事が顔に出るのか・・・自分じゃ分からないな。
それに知り合い以外の人間は俺が顔を向けると慌てて顔を逸らすし、知り合いからだって今の櫛枝みたいな事を言ってくる奴はいなかった。
・・・ひょっとしたら、櫛枝だから俺の表情や仕草なんかで俺の考えてる事が分かるのかもな。 そうだとしたら、少し嬉しい反面、悔しくもある。
俺には櫛枝が何を考えてるかなんてさっぱりだ。今だって。 櫛枝が何を言いたいのか考えを巡らせている俺に、櫛枝は更に続ける。
「そこでこのみのりん・高須・ジョースターは考えた。
『お前は次に『い、今のは違うんだ櫛枝・・・ちょっと早とちりしたっていうか・・・とにかく俺、勘違いしてて』と言うよ!』って・・・
だけどね、高須くんは私の考えの斜め上を行ってたよ」
そこで一旦区切った櫛枝は、俺から離れると回り込んで今度は正面から寄りかかってきた。
俺も自然と腕を櫛枝の背中に回すと、櫛枝は顔を上げて・・・ゆっくりと口を開いた。
「あそこで私のこと、一番大切だって言われるなんて思ってもみなかったよ。
・・・私の冗談真に受けて、急に慌てたりして・・・高須くんだってあれが冗談だって分かってたんでしょ? 途中からでも。
それなのに、そのまま私に『一番大切だ』って・・・『私以外は目に入らない』って・・・」
「・・・・・・・・・」
また顔に血が集まってきた。 櫛枝の目に映る俺の顔がみるみる赤くなっていく。
だけどそれ以上に目を引くのが、俺よりも赤く染まっていく櫛枝の顔で。
「・・・・・・照れくさかったけどさ、嬉しかった・・・うぅん、まだ嬉しいな・・・
それこそホントに浮気されちゃったら、嬉しかった分悲しくって、死んじゃかもしれないから・・・
・・・・・・このまま、ずっと嬉しいままでいたいな・・・ずっと・・・・・・」
「・・・・・・櫛枝」
「・・・ぁっ・・・」
背中に回していた腕に力を入れると、櫛枝の背が軽く跳ねた。 そうすると、見上げたまま見つめてくる櫛枝は瞳を潤ませて・・・・・・
すぐにいつも通りの笑顔に戻ると、やたらニヤニヤしながら目線を逸らせた。
・・・これは・・・なんだかさっきのような、俺をからかう雰囲気が櫛枝から・・・
「だけど・・・あ〜んな真剣な、それに真っ赤っかな顔して口説き文句言ってるくれてる原因が私の冗談っていう・・・
しかも場所は台所・・・それ考えちゃうと、なんだかおかしくって・・・今思い出しても・・・フフ・・・・・・」
ほらな・・・・・・櫛枝が、腕の中でまたクスクス笑ってやがる。
マイペースにも限度があるだろ。なんだって櫛枝はいい空気をぶち抜いて、ここでその話を蒸し返すんだ。
「・・・そんなにおかしかったか。大真面目で櫛枝に嫌われまいと泣きつく俺は」
「ごめんごめん、怒んないでくれよ〜・・・それだけじゃなくってぇ・・・」
「それだけじゃなくってなんだよ」
「・・・・・・高須くんは怒った時とベッドの中だけはいじわるだよね・・・私が言いたかったのはー・・・
『あぁ、この人は私が言った些細な事にも本気になってくれるんだ。
冗談だって分かっても、どんな考え方したか分かんないけど私に変な気を持たれたって思ってへこんで、
必死になってそれは違うんだって伝えるために・・・私のことを一番って言ってくれるんだ・・・』って、そう思っただけ・・・それだけ」
「・・・・・・・・・」
ふて腐れたように唇を尖がらせる櫛枝に対して、言葉が出ない。
櫛枝がそういう風に思っていてくれていたなんて全然・・・・・・・・・
だめだな、まったく・・・櫛枝にはこっちの考えてる事はお見通しなのに、俺には櫛枝が何考えてるかなんて本当にさっぱりだ。
こんなにしっかり抱き合ってるってのに。 これじゃあ俺だけ櫛枝のことが分かってみたいで、本気で悔しくなってきた。
・・・悔しいから、今は櫛枝をいじめよう。 俺は意地悪だそうだし、好きな子ほどなんとかって言うしな。
「・・・・・・櫛枝・・・・・・」
隙間なんてないほど抱き合ってるのも構わずに、更に櫛枝を抱く腕に力を込めて抱き寄せた。
すると櫛枝の様子が変わった・・・気がする。
「ぇ・・・あ、だめだよ高須くん、今ご飯作ってるとこなんだから・・・それにまだ・・・赤ちゃんだって・・・」
やっぱりだ、さっきまでふて腐れてた櫛枝が焦りだした。 見えないからどんな顔してるかまでは分からないが、それでも驚きが混じる声と・・・
服越しに伝わってくる櫛枝の鼓動が、今もどんどん早くなっていく。 思い起こすと、俺は今までからかわれてばかりだったから、少し楽しくなってきた。
これで十分と思っていたけど・・・だめだ、もうちょっといじめてやろう。
「俺は意地悪なんだ。櫛枝がそう言ってたじゃないか。櫛枝が言う事に間違いなんかないんだろ」
「そ、そうなんだけど、そんなの・・・・・・もう! 高須くんのいぢわる・・・私が言ってたの、ちゃんと覚えてる?
高須くんは怒ってる時とベッドの中以外は優しい・・・あれ、ベッドの中でも優しいような・・・けどいぢわるだったような・・・まぁいっか。
それでね、そもそもここはベッドじゃないし、高須くんももう怒ってないんでしょ。私にはまるっとお見通しだぜ」
「・・・・・・まるっとか?」
「うん、まるっと。そしてこの実乃梨ブレーンがそこから導き出した答えは一つ!」
ちょっとだけ調子に乗って、怒ったフリして強引に抱き寄せていたずらしようとしたら、これも櫛枝には筒抜けだったようだ。
スルリと腕の中からすり抜けた櫛枝は、初め戸惑うように、次に怒り顔で・・・
「・・・・・・・・・高須くんのえっち・・・・・・・・・」
最後は頬を染めてプイッと横を向きながら放ったこの一言が、これ以上櫛枝をいじめてやろうなんていう気を完全に削がせた。
むしろ罪悪感が沸き立ってきた・・・改めて振り返ってみると、けっこう無理やりな事したかも・・・ ・・・あ、謝っとこう・・・
「ま、待ってくれ櫛枝、確かに俺も悪乗りしすぎたかもしれないけど・・・」
「言い訳は見苦しいぜ、『えっち』で『すけべ』で『けだもの』な高須くん。
いくらなんでも、こんなとこで・・・もう、ホントにえっちなんだから・・・それにとってもいぢわるだよ」
「ぐっ・・・」
要所要所を強調させながら、櫛枝は何事も無かったように流しに向き直ると 俺が帰ってきてから止まりっぱなしだった夕飯の支度を再開しだした。
何か声をかけようにも、櫛枝は背中で語っている・・・「弁解は受け付けないよ」・・・って・・・
「・・・おいたばっかりしてるエロ須竜児さんにお願いがあるんだけどいいですか?」
「エ・・・な、何だ・・・何でも言ってくれ」
追い討ちまでかけてくる櫛枝。どことなく他人行儀な言葉遣いなのは拗ねてるのか? ・・・拗ねてんだろうな、やっぱ。
しかもエロス・・・いやエロ須って・・・それだと、近い将来櫛枝も赤ん坊もエロ須姓になるんだけど。
口が裂けても言えない事を考えながらも表向き素直に返事をしておく。 これ以上拗れるのはさすがに厄介だし、俺が調子に乗りすぎたのは事実だ。
何を言われても従っておこう・・・こ、小遣い減らされる以外だったら、何だって。
どんな事を言いつけられるのか戦々恐々と待っていると、やや間を空けてから櫛枝は口を開いた。
「・・・・・・よ・・・夜はね、ちゃんとベッドでなら・・・だけど、今みたいなんじゃなくって・・・優しくしてほしいっていうか」
「は?」
何て言ったんだ? 一気に声のトーンを落とされて殆ど聞こえなかったんだけど・・・夜? 夜って言ってたのか?
夜が一体どうし・・・・・・
「・・・・・・っな、なんでもないなんでもない! やっぱりなんでもないから! ・・・急いでご飯作るから、着替えて待っててよ」
ボソボソ言ってて聞き取りづらいと思っていたら、急に大声になって捲くし立ててきた櫛枝。 心なしかさっきよりも顔が赤い気がするけど、何でだ。
「おぅ・・・え、だけどお願いって」
「だからなんでもないってばぁ! さささ、お疲れなんだからゆっくり休んでてよシャチョーさん。
今晩のメニューは高須くん直伝の肉じゃが私アレンジだから、期待してていいからね」
あまりの櫛枝の慌てように、何を言いたかったのか尋ね返すタイミングを完全に失っちまった。
「あ、あぁ・・・分かった。ありがとうな、櫛枝」
一体何だったんだ・・・お願いって言うからてっきり皿を出しといてくれとか、テーブルを拭いとけなんかの雑用だと思っていたのに
櫛枝は特に何も言いつけないし、さっきのつっけんどんな態度とは打って変わって妙によそよそしい。
何だったんだろう、櫛枝が言おうとしてたお願いって・・・まぁ、本人があれだけいいって言ってるんだからこれ以上聞いても仕方ない。
俺が疲れてるのも本当だし、櫛枝も、思ってたほど機嫌も悪くないみたいだし・・・とりあえず着替えて、後は櫛枝の手伝いでもしてよう。
それでいつも通りだろ。
「あ、高須くん」
「ん?」
ガラガラ・・・
居間と台所を仕切っている戸に手をかけたところで櫛枝に呼び止められた。 なんだ、やっぱり何か手伝いでもあるのか?
「私も、高須くんのことが・・・高須くんとこの子が一番大切だから・・・高須くんしか目に入らないから。 ・・・・・・どう?
高須くん、嬉しい?」
「・・・・・・急にどうしたんだ」
振り返っても、櫛枝は背を向けたまま。
「う〜ん・・・言いたくなったんだよ、急に。で・・・高須くんは、嬉しい・・・・・・?」
その質問に、俺は
「・・・おぅ・・・」
「・・・へへ・・・」
聞かれた事に答えても櫛枝は特に何も言わずに調理を続けているだけで、それ以上会話が続かない。
「・・・・・・着替えたら手伝いにくる」
突っ立っててもしょうがない。いい加減着替えよう。
言って、居間に片足を突っ込んだ時、櫛枝の声が聞こえた気がした。
「高須くんがいれば、私はずっと嬉しいままでいられるよ」
「・・・・・・? 櫛枝、何か」
ダンッ!
何か言ったか?
そう言おうとしたら、居間の向こうから聞こえてきた、何かを叩きつけるような音によって阻まれた。
ダンッ!
ダンッ! ダンッ! ダンッ! ダンッ!!
矢継ぎ早に聞こえてくるその音は、一際デカイ音を最後に、それ以上聞こえなくなった。
数瞬置いてから、反射的に瞑っていた目を恐るおそる開けてみる。
今は櫛枝と俺しか居ないはずのうちに誰が・・・まさか俺ん家に上がるような泥棒なんているわけ・・・・・・
「おかえり、竜児」
視界に入ってきたのは、長い髪の毛を首の後ろで一まとめにして、ドレスみたいにふわふわのレースをあしらったエプロンを身に付けた
「た、たたたたたたたた・・・た、たい・・・たいが・・・・・・」
大河がいた・・・・・・
ただそこに突っ立っているだけじゃない。
まな板の上に乗せたジャガイモを、包丁を使っていつかのように四角形にしながら皮をむいている。
さっきの騒音の正体はこれか・・・どれだけ荒っぽいやり方でむいてやがんだ。
後で階下の大家から文句を言われそうだ。
そもそもそれじゃあ皮ごと切ってるのと大差ないだろう。
「今日はずいぶん遅かったじゃない。寄り道なんかしてないでしょうね?」
「・・・・・・は? ぁ、えっと・・・お、おぅ・・・・・・?」
そしてさっきから気になってしょうがなかったことがある。
・・・・・・ここ、台所だよな・・・居間はどこいった・・・・・・
生返事しながら振り返ると、後ろにはちゃんと居間と台所を仕切る戸と、その奥には台所で料理をしてる櫛枝の背が
ピシャッ!
見えた途端、慌てて戸を閉めた。
いつからうちの間取りはこんな不便極まりない・・・居間をとっぱらって、台所と台所を向かい合わせるなんて物になってんだよ・・・
一昔前の料理番組じゃあるまいし。
あの、『私の記憶が確かならば』っていう・・・むしろ俺の記憶が確かなら、ここには居間があったはずだろ。
なのにどこをどう見ても、完全にさっきまで櫛枝といた台所そのものだ。
どれだけ落としても消えない壁の汚れから、廊下の奥にあるトイレも洗面台も、何もかも再現されている。
いや、それ以前にどうして大河がここに・・・・・・
「本当かしら・・・・・・痛っ」
混乱している俺の耳が、小さな声を拾う。
振り返ると、水道から流れる水に指を突っ込んでいる大河がいた。
「ど、どうした?」
「・・・また切っちゃった」
「またって・・・」
大河は傍に置いてあった救急箱から絆創膏を一枚取り出して、軽く血が滲んでいる指先に巻いていく。
・・・傍に寄ってみると、大河の左手の指には全部の指に絆創膏が巻かれている。
やけに用意がいいと思ったら、こんなに・・・
「たく・・・どうして指まで切っちゃうのかしら・・・ねぇ、包丁の持ち方ってこれで合ってるでしょ」
持ち方は問題ない。
問題はないが、包丁を持った手を見せてくる大河から、後ずさりして距離を空けた。
・・・切っ先を自分に突きつけられたら、誰だって俺と似たり寄ったりな事するだろ。
見た目だけなら間違いなく美少女が、ふわふわのエプロンを着けて包丁を向けてくるなんてどんなホラーだ・・・
「あ、あぁ・・・だけど大河、何してんだ? ジャガイモなんかぶった切ったりして・・・」
「はぁ?
なに言ってんのよ。見りゃ分かるでしょ、ご飯作ってんのよ。晩ご飯。
・・・そ、そりゃ、竜児が作ったご飯ほどおいしくできないけど・・・」
大河は当然の事のようにそう言った後、悔しいんだか恥ずかしいんだか判断付かない顔をして、小さな声になってしまっている。
その事は別にいいんだけど、なんでまた急に飯なんか作る気になったんだ。
「どうしたんだよ、大河が飯なんて・・・・・・そんなに腹減ってたのか?」
「そんなんじゃないわよ、バカ・・・その・・・竜児、疲れてるだろうと思って・・・ご飯できてたら、喜ぶかなって・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
チラチラと、目を合わせたり逸らせたりを繰り返しながらそう呟く大河。
労おうとしてくれてたのか・・・?
指、絆創膏まみれにして・・・痛い思いして、それでも。
思いもよらなかった大河の言葉に何て返すべきか黙っていると、大河が誇らしげに胸を張った。
「それに私だって、もうすぐママになるのよ?
料理でも掃除でも、ママならなんでもできるようにならなきゃ笑われちゃうわ」
「・・・・・・大河・・・・・・」
そんなことねぇよ。
できなくったって、誰も笑いやしない。
大河を笑う奴なんていないし、万が一いたら、大河が止めたって俺がぶん殴ってやる。
できない事をできる事にしようとがんばってる大河を、誰も笑う訳ないだろ。
それに笑われるとか、そんな事だけじゃあそんなに一生懸命にならないだろ。
人に笑われるからって・・・そんな小さな事を、大河は胸張って言うようなやつじゃない。
「・・・・・・なぁ、大河・・・・・・」
そんなことで焦らなくっても、お前は立派なママになってるぞ
「なに・・・・・・あっ!? ・・・・・・今、お腹蹴ったかも・・・」
───そう言おうとした直前、大河が声を上げた。
「きっと気合入れてくれたのよ、赤ちゃん。『パパみたいなおいしいご飯作ってね』って。
竜児もそう思うでしょ? きっとそうだわ」
「・・・・・・そうだな」
お腹に手を添えながら、興奮した様子で・・・心底嬉しそうに笑う大河を見て、やっぱり言うのをやめた。
大河は頑張ってる。
なら、したいようにさせてやろう。
考えてみたら止める理由もない。
大河は楽しみなんだ。
大河なりに気を遣って、何度も指切ってもめげないで。
生まれてくる子に恥じないように、自慢のママになれるように。
今か今かって首を長くして楽しみにしているんだ。
家族が増えるのを・・・逢えるのを楽しみに──────
だから野暮な事を言うのは止そう。
大河なら、きっと理想のママってのになれる。
「えへへ・・・待っててね、もうすぐご飯だからね」
頬を染めて、お腹の子供に語りかけている大河を見てるとそう信じられる。
それにこうして見ると、髪を後ろに束ねただけだってのに随分と大人びて見えるな。
いや、母親らしいっていうのか・・・意外って言ったら本人は怒るんだろうけど、家庭的でけっこう似合っている。
・・・・・・こういうのも、いいな。
大河と並んで台所に立つのは新鮮だし、大河が飯を作るなんて考えても・・・そうだ。
大河に任せっきりってのもなんだから
「・・・・・・手伝ってやろうか?」
「だめよ。今日は私が一人で作るんだから、あんたは待ってるだけでいいの」
「だけどよ、お前指とか」
「だめったらだめ。私一人で作んなきゃ意味ないんだもん」
申し出は素気なく断られた。
だけど、そんな指してなぁ・・・・・・・・・見てるだけじゃ不安だ。
握りなおした包丁にしても力が入り過ぎているし、まな板なんてザックリ入った傷が片手じゃ数え切れない。
野菜の皮をむくとか、そんな事に使ったようには到底思えないほど痛んでいる。
・・・・・・そういえば、何を作ってるんだかまだ聞いてなかったな。
「なぁ、何作ってたんだ」
「肉じゃがよ。こないだみのりんに教えてもらったの」
ガタタタ・・・
「な、なによ、倒れたりして・・・竜児、肉じゃが嫌いだった?」
「・・・・・・気にすんな、足が滑っただけだ・・・・・・・・・」
あ、あんまりにも大河から出ていた空気が自然すぎて・・・忘れてた訳じゃない、自然すぎてこれが普通だと思っちまったんだ。
でもよくよく・・・考えなくても分かるだろ、一目瞭然だ。
何で大河がうちに居て、しかも居間があったはずの場所に台所がそっくりそのままできてるんだよ。
・・・あれ?
どうして櫛枝がうちに居て、居間があったはずの場所に台所がそっくりそのままできて・・・ど、どっちだ!?
何故だかどっちとも生活していたような記憶が・・・じょ、常識的に考えてある訳ないだろ、そんなの!
落ち着いてよく思い出せ、俺・・・・・・帰ってきたら、最初は櫛枝と一緒にいて
『今晩のメニューは高須くん直伝の肉じゃが私アレンジだから、期待してていいからね』
そうだ、櫛枝も作ってたんだった・・・・・・肉じゃが。
思い出した途端腰が抜けた。
ビックリしたなんてもんじゃねぇよ。
「・・・疲れてるんじゃないの? ・・・あんまり無理しないでよね・・・
それでね、その時みのりんったら竜児に教えてもらえばいいじゃんって言ってたんだけど・・・」
流しの縁に手をかけながら立ち上がる俺に、大河は他の具材をおっかない手つきで切りそろえながら続きを話し出す。
その度に驚きでまた腰が抜けていく。文字通り腰抜け呼ばわりされても否定できない。
さっきから寝耳に水な事ばっかりだ。
それでも立て、立つんだ・・・この程度で立てないようじゃ、これ以上のモノが降ってきたらどうするつもりだ。
俺は竜だ、竜になって立ち上がれ・・・竜になれたら飛んで逃げ・・・違う、そうじゃねぇだろ。
「竜児の驚いた顔が見たくってって言ったら、アツアツですなーご両人って・・・みのりんったら茶化してくるんだから。
恥ずかしいったらなかったわよ。ホントやんなっちゃう」
「へ、へー・・・そんな事が・・・・・・」
どこぞのアルプスの少女の友達のように、プルプルと震えながら立つ俺を知ってか知らずか
大河は言葉とは裏腹に、満更でもなさそうな顔で櫛枝に肉じゃがの作り方を教わった時の事を語っていく。
「だけどみのりん、ちゃんと教えてくれたの。何度も失敗しちゃったんだけど、最後にはこれならバッチシだよって言ってくれて。
・・・結局作り終わる前に竜児が帰ってきちゃったから、驚かせられなかったのがちょっとだけ悔しいわ」
何言ってんだ大河、俺をよく見ろ。
さっきからずっと驚きっぱなしなんだけど顔に出てないのか?
もしかしたら驚きすぎて表情筋が麻痺してるのかもしれない。本気でそう思えてきた。
と、あらかたの下準備を終えて、水と具材を入れた鍋を火にかけている大河を横から見ていると
ガチャン
「あ゛ぁ゛〜疲れた・・・ったく、あのクソカメラマン・・・そりゃお腹も出るわよ、こっちゃあ妊婦様だぞ。それをあんなに笑いやがって・・・
撮影直前にモデル苛つかせるって、テメェそれでもプロかってーの。あんま舐めてっと潰すぞ。
それにここの階段、エスカレーターにでもなんねーのかよ。メンドーすぎてマジウゼェんだけど」
ドアが開く音と同時に聞こえてくる愚痴交じりの声。
少なくとも、今入ってきたのは泰子じゃない。
泰子だったらあんなに辛辣に、且つペラペラと愚痴ったりしない。
言ったとしても、愚痴る気があるのかすら疑わしいふやけた顔で「聞いてよ竜ちゃ〜ん、やっちゃん今日ね〜」って程度だ。
櫛枝かとも考えたが、この声にしろ口調にしろ櫛枝の物じゃない。
だけど聞き覚えは絶対にある。ありすぎるくらいある。
声もそうだし、なによりあの口の悪さ・・・
この際、どうして? だの、何故? だのという疑問は何の意味も持たないから横に置いておく。
そんなこと、いくら考えたって始まらない事はもう分かってる。
大河も櫛枝も出てきたんだ、インコちゃんが人間になってたって・・・驚くけど、こんなに脂汗は掻かない。
そんな事が起こったらまず逃げ出す。今みたいに恐怖やその他諸々で固まったりはしない。
錆び付いてしまったと思える体を無理やり動かして振り返ってみると、
以外にも声の主は、あの毒舌を吐いたとは思えない落ち着いた感じのするゆったりとした服を着ている。
靴も、踵の全く無いサンダルで・・・あぁ、妊婦って言ってたもんな。気を遣ってんだな、そういう所も。
なんで妊婦なんだ
嫌な予感がする。
上手く言えないけど、なんか・・・前倒しっていうか・・・早くないか? ・・・何がだ?
「・・・・・・・・・ぇ、りゅ・・・・・・ねぇって・・・・・・」
後ろから誰かが話しかけてくる。
・・・やけに遠くから聞こえてくる気がするな。
何だよ、俺は今とてつもなく・・・・・・
「ねぇ、竜児っ!」
「うおっ!?」
根拠不明の違和感にばっかり気をとられていると、いきなり耳元で怒鳴られた。
それと同時に襟元が引っ張られて、転びそうになる直前で踏ん張って耐えた。
何がどうなってんだよ。
「無視しないでよ!
何度も声かけてんのに、シカトしまくって・・・」
「た、大河!? 無視って・・・・・・」
目の前には、フリフリのエプロンから制服姿に変わっている大河が・・・よく見ると俺も制服を着ている。
隣で苦笑いしている櫛枝もそうだ。
それに俺が立ってるのも家の中じゃない。
道路の、すぐそこに学校が見える所まで来ている道のど真ん中だ。
横切るうちの生徒が、ジロジロこっちを見ながら歩いていく。
・・・・・・夢? 夢か? 今のは夢だったってのか?
「・・・・・・・・・」
なんて夢を見てんだ、俺は。
ほとんど一睡もできずにいたからって、歩きながら寝ていたなんて・・・それもあんな夢を見ながら。
脱力感と倦怠感がどっと押し寄せてきた。
まだ朝だってのに体中に纏わり付くそれらが鉛みたいに重く感じて、半端じゃないくらい体力を持っていってる。
まるで夢遊病患者じゃねぇか、こんな若い内から。
・・・・・・今までのが夢なら、昨日からの事も
『・・・ねぇ、竜児・・・ここにね、赤ちゃんがいるの・・・』
『・・・・・・ここに居る子と、私と・・・高須くんが一緒にいるところを、私は見てみたいの・・・・・・
・・・・・・私、妊娠したよ・・・高須くんの赤ちゃん・・・・・・』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さっきまでの、自分の精神状態を疑いたくなるような物は夢だ。
一緒に暮らす大河も櫛枝も、全部。
勿体無い気もしないでもないが、あんなのが現実だったらそれこそ精神に異常をきたしそうだ・・・ストレスとかそっち関係で。
だから、あんなのは夢なんだ。夢でいい。夢であってくれ。
だけど、昨日からのことは夢じゃない。
手にはまだ昨日の大河の体温が残っている。
今朝の事にしろ・・・・・・
「・・・・・・・・・」
今朝・・・櫛枝が俺に妊娠って・・・三振じゃなくて妊娠・・・・・・・・・
思わずくだらないことこの上ないギャグが頭に浮かぶほど、櫛枝が告げた内容は俺にとっては衝撃的で・・・
だって、あの櫛枝が・・・いつも元気過ぎるほど元気で、過剰なほど明るくて、部活もバイトも一生懸命両立させて・・・
俺には太陽みたいに思えた櫛枝が・・・・・・妊娠・・・・・・しかも子供の父親は俺・・・
大河と櫛枝のお腹の中にいる子供の父親は俺・・・・・・
「・・・・・・頭痛ぇ・・・・・・」
「まだ痛いの・・・? ・・・氷、また買ってきてあげよっか?」
顔を向けると、心配そうな顔した大河がこっちを見ている。
さっき・・・櫛枝に押し飛ばされて頭を打ち付けたときにできたタンコブが、まだ痛むと思っているんだろう。
そっちの方は元々大したコブでもなかったし、大河が買ってきてくれた氷を当てていたからもうほとんど痛みは無い。
その後からの記憶が無いのは、多分その後すぐ寝たんだな・・・歩きながら・・・
「・・・いや、それはもう平気だ・・・わざわざありがとうな、大河」
大河が息を切らせて戻ってきた辺りはハッキリ覚えてる。
なんせ1Kgもある氷のパックを三つも買ってきたんだ。中々忘れられる物じゃないだろう。
どれだけ冷やすつもりだったのか、そんなに俺は重症に見えたのかは知らないが、そういう事は一切言わなかった。
・・・心配してくれて買ってきてくれたんだ、文句なんて言えねぇだろ・・・
だから感謝の言葉だけを伝えて、必要そうな分以外は仕方なく捨ててきた。
問題なのは・・・
キュッ・・・・・・
「・・・・・・・・・」
「・・・ど、どうしたのよ、今度は汗ビッショリじゃない・・・竜児、やっぱり無理してるんじゃ・・・」
「な、なんでもねぇ・・・」
「ホント?」
やめてくれ・・・そんな心配げな眼差しを向けないでくれ・・・
ホントに頭は痛くないから、頼むからこっちを見るな、大河。
「へ、平気だって・・・ほら、早いとこ行こうぜ? 遅刻するぞ」
「・・・あんまり我慢しないでね、竜児。辛くなったらちゃんと言いなさいよ」
頭は痛くない、マジで全然痛くない・・・が・・・胸の方が痛すぎる・・・
大河が心配してくれる度に後ろめたくなっていって、今じゃ心臓が握り潰されてる気すらしてきたほど胸が痛い。
痛すぎてそれ以外の感覚が無くなったんじゃないかと錯覚しそうだ。
・・・・・・いいや、それでも手から伝わってくる何かが・・・・・・
大河の方を向きながら話していたら、反対側で制服の袖を抓まんだいた櫛枝が指に力を入れてきた。
思わず噴き出た汗を拭いたくても、片方の腕は大河がガッチリ組んでいて動かすことができず、
もう片方は櫛枝が抓みながら引っ張っていて・・・
この程度なら腕を動かせるだろうけど、そうなると振り解くみたいになりそうで心苦しくてできない・・・
櫛枝の方に向き直っても、櫛枝は照れくさそうにはにかんでいるだけで手を離してくれない・・・
・・・こんないじらしい櫛枝を突き放せる奴がいるのか?
少なくとも俺には無理だった・・・
大河は腕を離そうとはせず、櫛枝は裾を抓み続け・・・
結局俺達は三人並んで登校した。
・
・
・
・・・・・・やっと教室まで来れた・・・けど・・・明日からもう学校なんて来たくねぇ・・・・・・
大河は言うに及ばず、俺も校内では顔も名前も知られている。
櫛枝だって、ソフトボール部の部長なんだからそれなりに有名だったようだ。
学校に着くまでだって、見た目だけで不良だのヤンキーだの思われている俺が、女子二人と並んで歩いているだけでも
注目を集めていたのに・・・校内に入ったら更に・・・
(お、おい見ろよ・・・ヤンキー高須と手乗りタイガー、腕組んでないか?
・・・やっぱあいつら付き合ってたんだ)
(マ、マジだ・・・・・・あれ?
けど、タイガーの反対側で高須くんの手ぇ握ってるのって・・・あれソフトボール部の部長じゃね?)
(ホントだ・・・はっ、なにそれ・・・二股かよ!
しかも堂々と!! テメェヤンキーだったら何してもいいだなんて思ってんじゃねぇぞ!!)
・・・・・・周りからの視線は、表を歩いてる時の比じゃなかった。
男子は手の親指を下に向けるか中指だけを持ち上げて、女子はキャーキャー言いながらこっちを見てくる。
俺はただ歩いてるだけなのに・・・・・・
このまま三人並んで教室に入ると、また何かと・・・もう遅い気もするが・・・それでも、少しは注目を逸らした方がいい。
教室に入る手前で用を足しに行くと言って、半ば無理やり大河と櫛枝から手を離してもらい、時間を開けて教室に入ろうとしたが・・・・・・
「遅かったじゃない、竜児」
「高須くん、早く入ろうよ」
大河も櫛枝も、教室には入らないで廊下で俺を待っていた。
何でだよ・・・そんな所で待たなくても、先に教室に入っとけばいいじゃないか・・・・・・
再度トイレに逃げようとすると、その前に腕を掴まれた。
観念して、大河と櫛枝と並んで教室に入ると
「・・・よ、よぉ高須・・・今日はまたどうしてそんな・・・・・・」
「た、高っちゃん・・・女侍らしてる高っちゃんって、なんか似合い過ぎて恐ぇんだけど・・・」
待ち構えていたように能登と春田が声をかけてきた。
他の連中も、こっちに神経を集中させてるのがあからさまに伝わってくる。
多分、俺達が並んで歩いてるのを直接見てた奴がいるか・・・もう口コミで広まってるのか・・・
あれだけ派手に登校して来たんだ、このくらいは予想してたけど
・・・・・・お前ら、ほんのちょっとでいいからプライバシーってものを尊重しろよ・・・・・・
「・・・・・・聞くな、能登・・・聞かないでくれ・・・・・・」
目を向けながらそう言うと、能登は一言「・・・・・・がんばれ」とだけ言って下がってくれた。
間が空いたのは、きっと俺の意を汲んでくれた上に、心配してくれたんだと思う。
間違っても隣にいる大河の方を見て怯んだからじゃないと、そう信じたい。
そして春田・・・・・・それはどういう意味でだ? ・・・・・・いや、聞くな俺・・・どうせろくでもない答えが返ってくるのは目に見えている。
「・・・俺、ちょっと寝不足なんだよ・・・じゃ・・・・・・」
そう言って、能登と春田から離れて自分の席に座った。
これ以上話してると大河が口を滑らせてしまうかもしれない。
登校中だって、そこら辺を人が歩いているにも関わらず妊娠した事を口にして・・・
あの場にはうちの生徒だって居たのに・・・その話が広まって、クラスの誰かが聞きにきたらどうするつもりなんだ。
・・・・・・どうもしないで、嬉しそうな顔して「そうよ。私、ママになるのよ」って言いそうだ。
いや、絶対言う。
目を瞑ると、満面の笑みで俺の手を取り、幸せそうな空気を周りに振りまいてる大河がありありと浮かぶ。
実際、昨日・・・晩飯の後からの大河はこれ以上ないくらい機嫌が良くて、その前にあったイザコザなんて無かったように
まだ目立たないお腹に、そこに居る赤ん坊に楽しそうに語りかけてて。
その横顔は、紛れも無く幸せそうで───────
その事に不満も、ましてや不愉快になる理由なんてありはしない。
大河が幸せになれるなら、何でもしてやりたい。
赤ん坊ができたって大河に言われた時も、父親が俺だって言われた後も、その気持ちに嘘はない。
大河が幸せで、子供も幸せになってくれるなら、俺だって・・・・・・・・・
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・?
どうしたの? 私の顔、なんか付いてる?」
首を上げて右を見ると、こっちを見ている大河と目が合った。
自分の机にカバンだけ置いてきて、さっきから俺の横に居る大河。
いつだったか、『竜として、大河の傍らに居続ける』って言った事がある。
その時は今のような関係になる事も、大河にこんな気持ちを抱く事も考えてもみなかった。
ただ、傍に居てやりたいって、そう思ったから。
・・・・・・あの時、誰かに『それは同情だろう』と強く言われたら、否定はできても納得してしまう部分があったかもしれない。
今となっては、だけど。
けど、あの時大河は並んで歩く事を許してくれた。
それからは家族みたいに過ごしてきて、大切だって思えるようになって。
今みたいに、自分から横に並んでくれるようになって・・・・・・
そんな大河との間にできたって言われた赤ん坊の事を、嬉しく思わないなんて事・・・ある訳ない。
だけど・・・・・・・・・
大河から目を離して、今度は左側を見上げると
「・・・・・・? どうかした? 私、変な顔してるかな?」
大河と一緒で、反対側からずっとこっちを見ている櫛枝。
俺が自分を見てると分かると、目の前まで顔を近づけてきていろいろと表情を変えてみせる。
笑った顔も、怒っている顔も、寂しそうな顔も。
今目に映る櫛枝は形容しがたい顔を作っているけど、大河と過ごし始めてから、櫛枝の色んな表情を見てきた。
それまでは、俺は遠くから見ているだけで・・・目にする櫛枝の表情は笑顔くらいだった。
いつも元気一杯に笑う櫛枝も、大河の事を真剣に想って怒っていた櫛枝も、どこか寂しそうに幽霊の話をしていた櫛枝も。
それまで目にしてきた櫛枝を、俺は一面だけしか知らなかった事を知って。
それでも、櫛枝に友達以上の何かの感情を感じていた。
そんな櫛枝が、妊娠したって・・・相手が俺って言われて、途惑う反面、少し喜んでいる自分がいて。
だけど・・・・・・・・・
櫛枝からも目を離すと、机に突っ伏して頭を抱えた。
・・・・・・・・・どうして・・・・・・・・・
・・・・・・・・・なんで・・・・・・・・・
俺は肝心な部分を覚えてないんだ・・・・・・・・・?
「・・・・・・・・・」
妊娠したなんて冗談で言うような事じゃないし、大河は最初俺の態度に激昂して、泣いて・・・櫛枝だって、嘘を吐くようなやつじゃない。
あの検査薬にしろ、疑うような代物じゃ・・・・・・大河もアレが来ないって言ってたし。
二人が妊娠したって言って、検査薬にもそういう反応が出てるんだから、そういう事なんだろう。
だけど・・・・・・
俺、いつ大河とも櫛枝とも、そんな事を・・・・・・
「ほら、やっぱりみのりんが竜児に酷いことしたから・・・・・・」
「だぁかぁらぁ、それはもう言わないでよ・・・大河、ちょっとしつこくない?」
必死に思い出そうとしていると、両隣に居る大河と櫛枝が、頭を抱える俺を挟んで言い争いを始めてしまった。
大河はまだ今朝の事を気にしてるみたいだ。
俺はそれどころじゃなくなったし、元より櫛枝を責めるなんて考えてなかったけど、大河はずっと櫛枝にチクチク文句を言っていた。
櫛枝も申し訳なく思ってるんだろうけど、さすがに我慢できなくなったらしい。
「しつこいって・・・みのりんが悪いんじゃない。いきなり竜児のこと突き飛ばしたりして」
「それはそうなんだけど・・・けど、高須くんに怒られるんならいいよ? なに言われても我慢するよ、私が悪いもん。
けどね、なんで大河にブツブツ言われなきゃいけないのさ」
散々責め続けられて、櫛枝もイラついてたんだろう。
大河も、そんな櫛枝に触発されたのか段々と不機嫌になっていく。
「私は、竜児がみのりんに気を遣ってハッキリ言わないから」
「それおかしいよ。どうして大河が高須くんの代わりになって私を怒るんだよ」
「・・・・・・そ、それは・・・・・・」
大河が言葉を詰まらせた。
それはそうだろう、今の櫛枝の言い分に大河が言い返せる理由は無い。
・・・・・・待て、何か嫌な予感がしてきた・・・・・・
「だってそうじゃん。私は高須くんにはケガさせちゃったけどさ、大河にはなにもしてないよ」
「・・・・・・・・・」
ケガっていうケガでも・・・せいぜいコブが脹れただけだし、もう痛みも無いから気にしなくてもいいのに。
黙ってしまった大河を無視して、我慢していた事もあり、熱くなってしまっている櫛枝は責め返すのを止めない。
「なのに大河ったらさ、私のせいでーってブチブチブチブチ・・・そういうの、なんだか姑みたいだよ」
「・・・・・・だって・・・・・・」
「それに、ずっと高須くんと腕組んで歩いて・・・なにが『肩貸してあげるね』だよ。
それも『みのりんがぶつかってきて』って私をダシにして・・・そういうの卑怯だと思うんだけど」
・・・そんな事まで言ってたのかよ・・・
櫛枝からしたら堪ったもんじゃないかもしれないな。
まぁ、大河からしたら知る由もない・・・むしろ知らないままでいてくれ・・・ん?
「・・・・・・だって・・・だって・・・・・・」
反論できずにいた大河がフルフルと震えだした。
机の端を両手でギュウっと掴んで、何かに耐えるように・・・・・・違う、溜めている。
「・・・・・・ズルイよ、大河ばっか・・・・・・私だって」
櫛枝がそう呟いた途端、顔を下に向けた大河が深く息を吸った。
マズイ・・・・・・言う気だ。大河のやつ、今この場で言う気だ。
元から大河は、妊娠した事を隠そうとするどころか逆に言う気満々だった。
櫛枝の指摘に返す言葉と、その適当な理由が見つけられなくって・・・・・・
目を伏せて何か良い言い訳を探していた大河が、この場を乗り切れる言い訳を思いついたんだろう。
「わ、私は竜児の奥さんだもん。こ、こここ、婚約だってしたし、赤ちゃんだってできたんだから! だからいいんだもん!!」
正直このくらいは言いそうだ。もっと大胆な事を言うかもしれない。
理由らしい理由にはなってないけど、櫛枝を黙らせるのには十分な威力を持っているはずだ。
その後何を言われようとも、これと似たようなセリフで押し切って・・・・・・
止めなきゃ、とにかく大河を止めないと・・・・・・・・・俺、ひょっとして死ぬ?
何故だかそんな強迫観念みたいなものに襲われた。
大河を止めろ、でなけりゃ死ぬぞ・・・・・・と。
「た、大河っ! 少し落ち着け!」
止めに入ったのと同時に、勢い良く顔を上げた大河が大きく口を開けた。
ダメだ、聞いちゃいねぇ。
俺を無視して、大河は櫛枝に目線を合わせると、まるで勝利宣言でもするように・・・・・・
「わ、私は竜児のおく」
「どけよ、クソチビ」
言い切らない内に、大河は背中側から伸びてきた手によって強引に横にずらされた。
ずらされたなんてもんじゃない、突き飛ばされたように大河は床に転んでしまっている。
それにより、なんとか大河という爆弾が爆発する事は阻止された。
・・・・・・先送りになっただけかもしれないけど。
・・・それにしても、途中まで俺が考えていたセリフと恐いくらい一緒だった。
あのまま先を続けられていたら・・・・・・
胸を撫で下ろしつつも、もしあのまま止まらずに大河が喋っていたらと思うと、背中に冷たい物が流れた。
俺はどれだけ焦ってんだよ。
ギュッ!
「・・・・・・は?」
内心にかなり気を取られていた俺の腕を、誰かが掴んだ。
ハッとして、俺の腕を掴む手に目を走らせていくと・・・俺の手を握りっぱなしのそいつは、教室の外に向かって歩き出す。
訳が分からず、それでも転ばないよう引っ張るそいつに併せて足を動かす俺の耳に、大河の声が
「・・・朝っぱらからかますじゃない・・・今いいとこなんだから邪魔すんじゃないわよ、ばかちー・・・・・・」
・・・・・・届いた瞬間、俺を引っ張る川嶋は全力で走り出した。
「・・・あ、あれ? 竜児・・・・・・
ばぁかぁちぃぃぃぃぃぃぃぃいい!! 竜児を返せぇぇぇぇぇぇぇぇえええっ!! 竜児ぃ──────っ!!」
大河の絶叫を背中に受けながら。
- ・
・ ・
どこをどう走ってきたのか全く覚えていない。
たまに他の生徒にぶつかったのは分かってるのに、何で自分がこんな所に連れ込まれたのかさっぱり理解できない。
追いかけてくる大河を撒くためとはいえ、どうしてここなんだ・・・・・・
そりゃあ川嶋からしたらこっちの方が普通なんだろうけど、何で俺まで・・・・・・
「エホッ!
はぁ、はぁ・・・うぇ・・・・・・ちくしょう・・・なんであたしがこんな思い・・・・・・」
女子トイレの個室の中、様式の便器に向かってえずく川嶋の背中を摩りながらそう思った。
こんな所、居るだけでも恥ずかしくって気が気じゃない・・・気が気じゃないといえば
「か、川嶋? 大丈夫かよ、お前・・・・・・」
個室に隠れてからまだそんなに経ってないが、川嶋はずっと苦しそうに悶えている。 どうしたってんだ・・・
便座を上げたままの便器に向かい合いながら、時折吐いてはすすり泣いて・・・・・・あの、川嶋がだ。
「・・・・・・・・・」
それに、さっきから声をかけているのに反応が返ってこない。
ほぼずっとこの姿勢の川嶋の背中を摩っているのだが、いくら話しかけても無視され、川嶋から俺に話しかけることもなく・・・
「・・・・・・ねぇ・・・・・・」
いや、急に向こうから話しかけてきた。
「お、おぅ。どうした?
っていうか川嶋、調子悪いんならこんなとこじゃなくて保健室に行った方がいいんじゃないのか?」
「・・・外・・・他の人、いる・・・・・・?」
聞かれて、注意深く外の様子を探ってみる。 幸運にも人の気配はしない。
「誰もいないみたいだぞ」
「・・・・・・そう・・・・・・」
それだけ言うと、今まで便器にもたれ掛かっていた川嶋は立ち上がった。
フラつく体で個室から出ようとする川嶋は、倒れないよう支えてる俺が何を言っても聞かず、備え付けの手洗い場で口をゆすいで
「・・・・・・なにしてんの、行こうよ」
駆け込んできた時同様に俺の手を引きながらトイレから出ると、どこかに向かって歩き出した。
「───っはぁ・・・あーうめぇ・・・あ、高須くんも飲む? けっこうおいしいわよ、これ」
「いや、遠慮しとく・・・・・・」
行き着いた先は自販機コーナーだった。 既に登校時間も過ぎて、殆どの生徒は教室に行っているため辺りは静まり返っている。
そんな中、川嶋は自販機で・・・こんな物今まで飲んでたのか? っていうかこんな物売ってたか? 『クエン酸120%増量! PAKURI SWEAT
ビタミンガード〜あの時のレモンテイスト〜』を買うと、やたら美味そうに飲んでいる。 こっちは見ているだけで口の中が酸っぱくなりそうだ。
「・・・なぁ、川嶋」
「ん? ・・・なによー高須くん、やっぱ飲みたいんじゃん。はい、一口ならいいよ」
「・・・そんなんじゃなくってだな・・・・・・」
口を付けたペットボトルを何の躊躇も無く寄越す川嶋。
こんな状況でもドキリとさせられるが、今はそんなことに気を取られている場合じゃない。
「何があったんだよ・・・今日の川嶋、絶対おかしいぞ」
教室に入ってきた時に、無言で大河を突き飛ばしたのはまだいい。 相当機嫌が悪かったと思えば納得できなくもない。
普段だってそんなことしたりしないけど、よっぽど機嫌が悪い時ならありえるかもしれない。
だけど、突然俺を連れ出したりして、トイレに隠れてる間中苦しそうに咽こんでいたり、泣きながら吐いたり・・・
そうかと思ったら、今度は何事もなかったようにいつも通りになってる川嶋を見たら、誰だって何かあったと思うだろう。
「べつにー、亜美ちゃんはいつもと変わんないと思うけど。ほら、今日も超ぷりちーじゃん」
だったら何で俺から目線を逸らすんだ。
自販機の間に埋まって座る川嶋は、明るい台詞とは対照的にどんどん表情を硬いものにしていく。
「いつもと違うだろ。だから聞いてんだよ」
「・・・あれよ、亜美ちゃんわりと気まぐれだし・・・・・・」
「・・・・・・気まぐれで、トイレで泣いてたのか?
それに戻してた・・・お、おい・・・川嶋?」
その事を指摘すると、川嶋は一層表情を曇らせた。 その顔を、俺はどこかで見たような気がする。
今にも泣き出しそうな顔をしている川嶋が、昨日の大河に重なる気がして、そして───
「・・・・・・なによ・・・なによ、なによなによなによ!! 分かるわけないじゃない、あたしだって訳分かんないのに・・・・・・
どうしたらいいかなんて分かんないのに、そんなの高須くんに説明できる訳ないじゃない!」
───両の目から涙を溢れさせた川嶋は、昨日の大河とピッタリ重なった。
「か、川嶋!? 急になにを・・・・・・」
いくら廊下に人が居ないとはいえ、川嶋の絶叫は廊下の先にある教室まで届いたかもしれない。
反射的にそっちの方に目をやった隙に、立ち上がった川嶋は俺に何かを投げつけてきた。
顔に当たったそれは、廊下に落ちると乾いた音を立てながら転がっていく。
「ちょっと遅れてるだけなのに・・・そうよ、遅れてるだけなんだから・・・
なのになんでそれには出ちゃってるのよぉ・・・マジありえねぇ・・・さいあく・・・・・・」
独り言のようにそう言った川嶋は、言い終えるとすぐまた座り込んでしまった。 立てた膝の間に顔を隠して、縮こまって震える川嶋。
そんな川嶋を視界に収めつつ、その時俺は
「・・・・・・・・・」
床に落ちていたそれを拾い上げて絶句していた。
何でこれを川嶋が持ってるんだ・・・いや、持ってる事その物が不思議なんじゃない。
持ってるだけでもいろいろと危ないけど、昨日から頻繁に渡されて、もはや見慣れつつある手の中の物体には
それよりも危ない印が一本の線になってくっきりと出ている。 櫛枝の時もそうだったけど、何でこれを川嶋が俺に・・・・・・
「な、なぁ・・・遅れてるって・・・」
何か言おうにも、何を言えばいいのか分からない。
だけどこれだけは聞いとかなきゃだめだろ。 相手が誰かっていうのは後回しに・・・そんな大事な事、後回しにするのもどうかと自分でも思うけど・・・
それと同じくらい、これも確認しておかなきゃいけないだろ。 ・・・・・・決して相手が誰かを聞くのが恐いんじゃない。
「・・・・・・一月半ぐらい・・・うぅん、遅れてるんじゃないわよ、止まってんのよ・・・アレ・・・・・・」
聞いた瞬間、目眩がした。
なんだって大河も櫛枝も川嶋も・・・そういうのって個人差とかでマチマチなもんなんじゃないのか? なのに示し合わせたみたいに・・・・・・
からかわれてるんじゃないのか?
「・・・・・・ねぇ、高須くん・・・・・・」
頭の隅で何度目かの疑惑が首をもたげ掛けたが、速攻でへし折った。 からかい目的で、川嶋はこんな事をしたりしない。大河だって、櫛枝だって。
・・・・・・だから、からかうだとかいたずらだとか、そんな事はどうでもいい。
「どうしよう・・・あたし・・・・・・あたし・・・・・・」
見上げてくる川嶋の目は涙で濡れている。
「・・・・・・子供・・・高須くんの子供、できちゃった・・・・・・」
その目に映っているのは、妊娠検査薬を握り締めたまま妙に真剣な顔をして・・・
だけどよく見れば震えながら汗を掻いているという、マヌケにも程がある俺だった。
「・・・突然酷い吐き気が続くようになって・・・ご飯の臭いでも戻しちゃうし・・・
四六時中ムカムカするわイライラするわ・・・おまけに・・・なんか、太ってるし・・・・・・」
間を置いて・・・ポツリポツリと、聞いた訳でもないのに川嶋は自分の不調を語り始めた。
普段の物とは程遠い暗い声色の、小さな声を聞いてると、自然と川嶋の手前に置いてあるペットボトルに目が行く。 ───『クエン酸120%増量!
PAKURI SWEAT ビタミンガード〜あの時のレモンテイスト〜』 商品名からして既に見る者の唾液を溢れさせるほどのインパクトを放つ清涼飲料水を、
川嶋は砂漠を歩いている時に見つけたオアシスの水の如く、それは美味そうに飲んでいた。
・・・・・・いつだったか、晩飯の時に流していたテレビの事を思い出した。
その番組は健康問題を取り扱っていて、確かその回はレモンをテーマにしていたんだ。 あの時、一緒にテレビを観ていた泰子は確かこう言っていた。
『レモンかぁ・・・やっちゃんも、竜ちゃんがお腹にいる時はたくさん食べたなぁ。
よく妊娠したら酸っぱい物が欲しくなるって言うけど、あんなにおいしくなるなんて驚いちゃったっけ』
・・・・・・何故か詳しく聞いてくる大河に、泰子は楽しそうに他の事も教えていたけど何の気なく聞いてた俺にはそれ以上思い出せない。
男の俺には関係ないだろうからって、どっち道忘れてたかもしれないけど。
重要なのはそこじゃない・・・川嶋が言ってるのって、もしかしなくてもつわりだよな・・・
つわりの知識なんて漠然としたイメージでしか知らない俺でも、川嶋が言ってる事は全部当てはまってると思う。
「頭痛も・・・頭ん中割れそうで寝れたもんじゃねぇから、それでまたイラつくし・・・病気かもって思うとスゲェ怖かったし・・・
もうなにやってもストレスばっかり堪ってってさ・・・冗談じゃないわよ・・・」
「・・・・・・それ、治ったのか?」
自然に治るものなんかじゃないのは分かってるが、それでも一応確認してみた。 結果は・・・力なく首を横に振る川嶋を見れば、無駄な質問だった。
「酷い時に比べれば、今日はまだマシな方かな・・・けどさ、自分でも分かってんのよ・・・ 情緒不安定ってーの?
もう自分が自分じゃないみたいで・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「今日だって、高須くん見た瞬間に周りなんか見えなくなって・・・気が付いたらタイガー張り倒してて・・・ トイレでも・・・っ!
あんなとこ、絶対見られたくなかったのに!」
そうだろうな・・・人一倍外面を気にしてきた川嶋が、どうしようもなかったとはいえ他人の前で・・・
「・・・もうイヤ! うんざりなのよ! 気持ち悪いのも、痛いのも、イライラするのも! ・・・怖いのも・・・全部イヤぁ・・・・・・
・・・・・・こんな思いするくらいなら、いっそ・・・・・・」
「・・・・・・川嶋・・・・・・」
「え・・・・・・・・・っ・・・!」
話しかけると、急に顔を引き攣らせる川嶋。
血の気まで引いた顔は青褪めて・・・落ち着き無く床と俺とを交互に見て、子供みたいに頭を抱えている川嶋が・・・見ていて痛々しい。
こんなに追い詰められた川嶋なんて、今まで見た事がない。
そんな川嶋に、不穏な空気を感じた気がした。
「ち、ちが・・・ちがくて、今のはそうじゃなくて・・・・・・やだ・・・やめてよ・・・聞きたくないわよ・・・そんなのやだぁ・・・・・・」
「・・・・・・? ・・・俺はまだ何も言ってねぇ。川嶋、少し落ち着け・・・」
混乱してるせいか、取り乱す川嶋が何を思ったのか、俺には分からない。 分からないけど・・・きっと、とんでもない勘違いをした川嶋は
「・・・・・・堕ろせなんて言わないでよぉ・・・・・・」
とんでもない事を口走っていた。
「ちょっ・・・お前・・・・・・」
今なんて言った・・・・・・
おろすって・・・堕ろす!?
-
「あ・・・頭痛いのも、気持ち悪いのも、イライラするのもイヤよ・・・イヤなんだけど・・・
赤ちゃん・・・そうよ、赤ちゃん殺しちゃうなんて、そんなの・・・・・・そんなの・・・・・・」
「か、川嶋! 誰もそんなこと」
俺の制止を無視した川嶋が、大きくかぶりを振った。
「そんなのもっとイヤァッ!!」
「・・・・・・川嶋っ!!
俺の話を聞け!!」
「ッ!? ・・・・・・・・・」
学校中に響くような大声が、廊下に反響している。
自分でも、こんなに大きな声を出していたなんて事に驚いている。
川嶋も・・・さっきまでドコを見てるんだかハッキリしない視点を、今は俺の目にしっかりと合わせている。
その目に向かって、俺はなるべくゆっくりと近づくと腰を下ろして・・・ 見上げるでもなく、見下ろすでもなく
俺と川嶋の目線が、同じ高さにになった。
「・・・どうして、そんな風に思ったんだ?」
「・・・・・・ぇ・・・?」
俺の言いたい事は上手く伝わらなかったらしい。 だけど、川嶋から出てる雰囲気は危ないほど重かったさっきよりは幾分か軽くなっている。
顔からも、少しは険が取れたように思う。
「その・・・子供の事・・・どうして俺が堕ろせだなんて言うと思ったんだ?」
「・・・・・・それは・・・」
言いよどむ川嶋。 言葉を選んでいるのか暫しの間を開けた後、震える声で訳を語りだした。
「だってさ・・・男ってそういうのできたら、普通嫌がるって・・・重たいって・・・」
「それは川嶋の考えなのか?」
「・・・・・・モデルやってる娘とかとそんな話しても、みんなそう言ってて・・・雑誌とかにも・・・だから・・・・・・」
「それだけなのか?」
「・・・・・・・・・」
段々と尻すぼみになっていって・・・川嶋はとうとう口を噤んでしまった。 それでも真っ青だった顔にはどんどん赤みが差してきている。
今までの様子を見てても、川嶋がどれほど苦しんでいたか、俺には想像もつかない。
いろいろな体の不調の原因が、つわりから来る物だなんて事は川嶋が一番知っていたはずだ。
それでも、その原因を・・・赤ん坊の事をどうこうするなんて川嶋はしたくなかったんだと思う。 だけど・・・
他人の話を鵜呑みにしていた訳じゃないんだろうが、川嶋は男はそういう物だっていう固定観念みたいな物を持っていたんじゃないか?
俺がどんな態度をとるかを、その固定観念と重ねて考えて・・・
その事が、不安がっている川嶋を余計に不安にさせてたのは、さっきの川嶋の取り乱しようが証明している。
・・・・・・ひょっとしたら、川嶋はその事で一番悩んでいたのかもしれない。
川嶋がどういう風に考えていたのかなんて、俺には全部分かるはずがないし、
今俺が分かっていると思っている部分も、本当は全然見当外れなのかもしれない。
でも俺にはそう思えてしまうほど、さっきまで暗かったはずの川嶋の放つ空気が、ガラリと変わってきている。
「・・・高須くん・・・聞いてもいい・・・・・・」
不意に、何かを尋ねてくる川嶋。 その表情はまだ硬いままだ。
「堕ろせって・・・言ったりしない・・・・・・?」
だけど、その目は何かを期待していて
「・・・・・・おぅ」
「・・・・・・・・・」
───次の瞬間、大粒の涙を流しながら、顔をクシャクシャにしながら それでも川嶋は笑っていた。
・ ・ ・
ひとしきり泣いた後、川嶋は俺が渡したハンカチで目を拭うと立ち上がった。 ずっと狭い自販機の間に挟まっていた体を伸ばして、
『クエン酸120%増量! PAKURI SWEAT ビタミンガード〜あの時のレモンテイスト〜』を二本も買い、腰に手を当てて二本とも一気飲みすると
「あ〜あ・・・これで亜美ちゃんの人生、決まっちゃったな〜・・・けど、悪い気しないな」
空のペットボトルをゴミ箱に突っ込みながら、俺に背を向けている川嶋はそう言っている。 俺はというと
「・・・・・・はぁ・・・・・・」
事の大きさに、今更ながら頭を抱えていた。
落ち着きを取り戻した川嶋の事は素直に喜ばしい。
あんな状態でいたら、それこそ体を壊して・・・取り返しのつかない事になっていたらと考えると、今の川嶋の方が全然いい。
が、それ以上に一つも解決していないどころか、山積みの問題の上に更に増えていく問題は全然よくない・・・ だってありえねぇだろ、こんなに一遍に・・・
どうしたものかと思い悩んでいると、振り返った川嶋が手を差し出してきた。
顔を見ると、涙の跡が残る物の、いつも通り・・・いつもより少しだけ機嫌の良さそうな顔になっている。
「さってっと・・・そろそろ教室戻ろっか、高須くん」
「・・・・・・もういいのか?」
「うん・・・高須くんに全部話したら、けっこースッキリしちゃった・・・誰にも喋らないでよね、こんなこと。
それに泣いてたのも・・・あ、亜美ちゃん泣かせる男なんて、世界中探しても高須くんだけなんだから・・・そのこと、忘れないでね」
・・・・・・また一つ問題が増えた気がするのは、俺の気のせいだろうか?
来た時よりもしっかりと手を繋ぎながら見上げてくる川嶋の、照れによるせいで染まった頬を見ているとあながち間違ってないような・・・
「・・・そうよね。体のラインなんて崩れても、後でどうとでもすればいいんだし・・・
いっそのことマタニティドレスとかのモデルでもやってみよっかな? うわ、いいかも・・・」
多分無意識に口に出してるんだろう、横で着々と人生計画を立て直してる最中の川嶋は幸せオーラ全開になっている。
元々川嶋に惚れてる生徒が見れば、惚れ直すくらい良い笑顔だ。
横に立ってるのが俺じゃなければクリスマスなんかのイベントデーよりも告られてるだろうよ。
間違ってなんかいねぇ、問題は現在進行形で増えていってる。 それも加速度的に、俺なんかじゃ追いつけなくなりそうなほどの速さで。
・・・今の内に、少しでも片付けておいた方がいいか?
とりあえずは、大河達の事とか・・・い、言ったらどうなるか分からないが、黙っててもバレるのは時間の問題だし・・・
・・・バレるっていう表現から既に嫌だ・・・俺自身見に覚えないことばっかりなのに・・・・・・
「か、川嶋・・・? その・・・」
「うん? なぁに、高須くん・・・あぁ、心配しなくってもいいよ」
心配・・・確かに子供の事にしろ他の事にしろ、心配事なんて数え切れないほどあるけど 川嶋には何か考えがあるのか。
「学生結婚だもん、指輪とか式とか・・・そんなのしなくっても、亜美ちゃん全然気にしないから。
愛の証とかって言っても、結局誓い合うのは二人なんだし・・・傍にいてくれればいいかな〜って・・・」
っ・・・そっちかよ・・・・・・
いつもはいがみ合ってるのに、そういう所の考え方が大河とそっくりなのは何故なんだ・・・・・・ もしかして同属嫌悪的な物でも感じてたのか?
・・・ありえそうだ・・・
「けっ・・・こんって・・・川嶋、それは」
「ほら、もう教室着くんだからシャンとしてよね。そんなんじゃ亜美ちゃんが恥ずかしいじゃん、嫁として」
気がついたら教室が目と鼻の先という所まで来ている。 マズイ・・・既に授業が始まっているだろう教室に、今の川嶋と一緒に入っていくのは・・・
他の奴等からおもいっきり怪しまれてるに決まってるのに、何を言い出すか分からない。
なにより教室の中には、おそらく戻っているだろう大河と櫛枝も・・・
「悪い、俺」
「おっはよ!
みんなごめ〜ん、今日の亜美ちゃん、なんだか調子悪くってぇ」
何か言い訳を言って逃げようとする前に、川嶋は教室の戸を勢いよく開けてしまった。
っていうか調子悪いやつはそんなに元気そうに挨拶なんかしないだろ・・・ ・・・こうなったらもう仕方がない。
なるべくいつも通りを装っているしかない。 授業だって始まってるはずだから、いきなり誰かに何があったかなんて聞かれないはずだ。
できるだけ動揺を顔に出さないように・・・それには平常心が大事だ。俺達は何も無かった、そんな顔を崩すな。
何事も無かった風にしてれば、もしかしたら誤魔化しきれるかも・・・
「わ、私は竜児の奥さんだもん。こ、こここ、婚約だってしたし、赤ちゃんだってできたんだから! だからいいんだもん!!」
「なに言ってんの大河!? そんな嘘信じられる訳ないし、赤ちゃんなら私だって!!」
「嘘なんかじゃ・・・あっ、竜児!!」
「!? 高須くん!?」
誤魔化し・・・きれる訳ねーだろ、こんなの・・・
どの辺に誤魔化しようがあるってんだよ・・・そんな余地、針の先程も残っちゃいないだろ。 俺が居ない間に一体何があった・・・・・・
川嶋が教室の戸を開けた瞬間、教室の外にまで響き渡る大河と櫛枝の声。 てっきり授業中かと思っていたのに、そんな雰囲気は微塵も感じられない。
教室の真ん中で向かい合う大河と櫛枝、それを囲みながら見ている春田や能登、木原に香椎に他のクラスメート達。
そいつらが大河の声に合わせて一斉に教室の入り口を・・・俺と川嶋を見ている。
「・・・・・・高須くん・・・あいつらさー、なに吹いてるのかしらね・・・赤ちゃんとか、つまんない嘘言っちゃってるんですけど。
そんなのあたしとだけだよね? そうでしょ、高須くん」
「「 はぁ・・・? ・・・・・・・・・ハァッ!?」」
そして骨を砕かんばかりに力を入れて手を握ってくる川嶋のセリフに、敏感に反応する大河と櫛枝。
痛みで飛び跳ねたいのに、動く事もままならないほど痛いってなんだよ・・・動けたら動けたで、死に物狂いで逃げてたんだろうけど。
そう、動く事さえできたら俺は逃げ出す。
たとえその先に地獄という名の大河達による物理的な何かが待っていようと、今この場から助かる事ができるんなら絶対に逃げる。
なんだってする。泰子が助けてくれたら、行きたがってたデ○ズニーランドなんて泊りがけで連れてってやる。
外国だっていい。確か泰子はハワイに行きたいとか言ってたから、永住する覚悟で行ってやる。高飛び? 知るか、なんとでも言え。
とにかくこの場から生きて出れるんなら、なんだって・・・だって見てみろよ。
教室中の奴等はもとより、大河も櫛枝も川嶋も、目が据わりきってて・・・誇張や脚色じゃなく、本気で鬼みたいに見えてきた。
皆、俺と目を合わせてる時ってこんな感じなのかもな・・・ヤバイ、恐くて泣きそうだ・・・
とりわけそんな目をして近づいてくる大河と櫛枝、逃げ道を塞ぐ川嶋は一層恐ぇ。 誰でもいい、助けてくれ。俺をここから・・・・・・
「・・・・・・竜児・・・・・・」
「・・・・・・高須くん・・・・・・」
「・・・・・・高須くん・・・・・・」
窒息するんじゃないかというほどの圧迫感を放つ三人が、ジリジリと迫ってくる───
「「「
・・・・・・・・・これ、どういうこと・・・・・・・・・? 」」」
───その事を肌で感じながら、俺は逃げる事が不可能になった事を悟って・・・本当に止まっていた呼吸を根性で再開させた。
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