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         恋ヶ窪ゆりのカウントダウン30  
         
    
      
         
        - 時は夏。 
 
        日中のジリジリと照りつける太陽も、姿を隠す夏の夜。  
        恋ヶ窪ゆり・29歳・独身は、成人してから住み続けているアパートの一室で、一人ぼんやりしていた。  
        自分以外は誰もいない部屋。  
        中央に置かれた折り畳み式のテーブルの上には、大量の缶ビールと携帯電話。ツマミの姿はなく、あるのは空になった大量の缶ビールだけ。
         
        ゆりは、仕事を終えてから延々と一人晩酌を続けていた。  
        部屋の中は静かだ。静か過ぎる気もする。時計の針の進む音が聞こえ、あと30分ほどで0時になるところだった。
         
        0時を過ぎれば日が変わる。日が変われば、一日歳をとる。たった一日の経過が、今日は重大な意味を持っていた。
         
        恋ヶ窪ゆり。生まれて29年。日が変わると、30年。  
        明日は、生誕30年を迎える記念すべき日だった。  
         「全然嬉しくないわーーー!!」  
         缶ビールを片手に絶叫する恋ヶ窪ゆり・29歳。 
 20代最後の夜を向かえ、今日まで様々な日を過ごしてきたが、一向に実る気配はなかった。 
 夏という開放的な季節に期待して、ちょっと避暑地とかに遠出して出会いを求めたり、 
 
        海の開放的な雰囲気に触れるため、新品の水着を持って海に出かけたりした。(どちらも一人で)
        しかし、それらが良い結果をもたらすことはなく、貴重な夏の日々は虚しくも過ぎ去っていった。
         
         「何よ……避暑地に一人できちゃいけないっての……海はみんなのものなのよ……一人海で戯れてたって別におかしくないでしょ……」 
 
         今となっては忘れ去りたい記憶を肴に、ひたすらビールを煽る。 
 
        酒はすべてを忘れさせてくれる。忘れさせてくれるよね?と自らに問いかけながら、一人晩酌は続いていく。
         
         
        
        
        - 缶ビールの数が二桁になろうとした時。0時まであと20分をきったころ。 
 テーブルの上においてあった携帯電話が突然震えだした。 
 マナーモードのままにしてあったため、テーブルの上でガタガタと動き出す。 
 
        普段は『もしかして、この電話って電話じゃないんじゃないの?誰からも着信がないから、メーカーが契約きったんじゃないの?』と思ったりしていた。
         いつもは静まりかえっている電話が、今は細かく、テーブルの上で揺れている。  ゆりは大急ぎで電話に手を伸ばし、画面を開いた。 
 表示されている名前を見て、さらに驚く。頭に、衝撃が走った。  
         
        「え、なんで?どうして?」 
         
        自問自答を繰り返したいところだが、早くしないと電話が切れてしまう。ゆりは決心し、電話の通話ボタンを押して耳に当てた。
        -  
 
        「も、もしもし……」
        -  
 
        「あぁ、ゆり?俺、ケンジ。覚えてるかな、高校の時3年間同じクラスだった高須ケンジだけど」 
 
        電話の向こうから聞こえてきたのは、普段連絡などまったく取り合っていない、昔の同級生からの電話だった。  
        何故?どうして? 
 
        未だ頭の上には、はてなマークが浮かんでいる。そもそもどうして私の番号を知っているのだろう。
         
         
        「去年同窓会やったときに携帯の番号交換しただろ。それで電話かけたんだけど」
        -  
 
        「あ、あぁ、そうだった……交換、したっけ……」 
 
         
        1年ほど前に行なわれた同窓会に、ゆりは様々な期待を胸に参加した。  
        久しぶりにあう同級生は皆、一様に大人になっていた。 
 
        変わらない者もいれば、サナギが羽化したかのように綺麗になった子もいた。
         
        学生時代と変わらぬイケメンのクラス委員長なども来ていたし、密かに憧れていた同級生とも会話をした。
         
        久しぶりの出会いを楽しみながらも、ゆりは出席したメンバー(主に男)に獣のような視線を投げかけていた。 
 
        隙あらば捕獲!キャッチ&ノーリリース!!この気を逃すものですか。と、心のうちは、狩猟を行なう狩人だった。
         
        「久しぶりだな。去年の同窓会以来か」 
         
        「そ、そうねぇ。突然のことでびっくりしたけど……」 
 
         
        未だ電話をかけてきた理由は謎だが、ゆりは久しぶりの電話に話を続ける。 
 
         
        「今日はどうしたの?突然電話なんてしてきて」ゆりは思っていた疑問を口にする。
        -  
 
        「ああ、ちょっとね……家で酒飲んでたら、急にお前のこと思い出してさ」電話ごしの同級生も、お酒を飲んでいたようだ。
        -  
 
        「ゆりさ、明日誕生日だろ?」そして、突然誕生日のことをいわれた。ゆりはとても驚いた。 
         
        「覚えてるか?俺の誕生日も明日なんだよ。高校のとき、何度かからかわれたろ?『誕生日が同じだなんて、なんか運命とかあるんじゃない?』ってさ」 
         
        「そ、そうだったけ……」  
         
        ゆりは思い出そうと頭をひねったが、まったく記憶になかった。  
        高校生の時にそんなこと言われたっけ? 
 
        『運命の相手なんかじゃないの?』とは。今の自分にとって、喉から腕が出るほど聞きたい言葉だ。 
 
         
        「明日で30歳になるんだなぁ、って考えてたら、お前のこと思い出してさ。もしかしたら同じようなこと考えてるんじゃないかと思ってさ」
        -  
 
        「あはは、ま、まぁ……」  
         
        ゆりは笑いながら、手に持っていた缶ビールを置いた。 
 
        10本目突入の缶ビールはまだ蓋を開けていない。冷蔵庫から出した缶ビールの表面には、たくさんの水滴がついている。 
 
         
        「高校の時もあったけど、なんか俺たち、時々意見があったりしていただろ?この前の同窓会の時もさ」 
 
         
        そういって久しぶりの同級生は、昔の話を始めた。  
        ゆりは相手の話に相槌をうちながら、久しぶりに話す相手に次第に興味が湧いてきていた。 
 
        最後にあったのは、1年ほど前の同窓会。  
        変わった、変わらないなどの些細な話から、今何やっているのとか、結婚したのとかの話にもなった。
         
        電話ごしの同級生は、1年前の同窓会で、いまだ独身の身だということを笑いながら話していた。  
        いい相手に恵まれないとか、出会いがまったくないなどの話に、ゆりは笑いながら話していた。
         
        しかし、心の中では『私もよ!出会いどころか、異性とのエンカウントすらないのよ!
         
        誰だ、この世の男性とのエンカウント率設定したの!責任者出てこい!!』と心中穏やかではなかった。  
        似たような境遇の者同士。話が進み、ゆりは携帯の番号を交換した。今のいままで忘れていたが、まさか今日電話がかかってくるとは思ってもいなかった。 
 
         
        
        - 「あと十分で0時か……。それでお互い30代突入だな」
        
 
        「え、えぇ……。そうね……」 
 
         
        電話での楽しい会話も、この話になると、気分が重くなる。  
        ゆりは次の言葉が思い浮かばず、黙り込んでしまった。 
 
        会話が止まり、静かになった部屋で様々な考えが浮かんできた。  
        久しぶりの同級生も、自分と同じように最後の20代を物思いにふけっていた。 
 
        きっと私と同じように、一人っきりで、部屋の中、一人晩酌で過ごしていたのだろう。
         
        地球上にいる似たような境遇の者同士。きっと何かの波長があって、今のこの電話につながったのかもしれない。  
        これがもしかして運命なのでは。 
 
        ゆりは心臓が少しずつ高鳴っていくのを感じた。 
 
        居住まいを直し、正座になって電話を握りなおす。相手に聞こえないように、一度咳払いをして、しゃべる準備を整えた。 
 
         
        「あ、あのね。もしよかったらなんだけど……」 
 
         
        今から会わないか。会って一緒にお酒でも飲んで、これからの30代を楽しく過ごさないか。 
 
        そして、独身同士、何かの運命で出会った二人はいい関係に発展し、そして……  
         
        「こ、これから、」ゆりは意を決して言葉を出した。 
         
        「あ、すまん、そろそろ電話切るわ。なんか妻が呼んでるみたいで」  
         
        ゆりは出そうになっていた言葉をとめた。ついで、思考も止まった。 
 
         
        「つ、妻?」突然出てきた言葉にゆりは疑問を投げかける。
        -  
 
        「ああ。あれ?知らなかったか?同窓会の1ヶ月後くらいに、俺結婚したんだよ」 
 
         
        電話ごしの相手は笑って結婚のことを告げてきた。  
         
        
        - 「同窓会の時に昔の彼女とも再開してさ。そのまま昔の関係に戻って結婚したんだ」
 
        -  
 
        「へ、へぇ……そうだったんだ」 
 
         
        おめでとうの言葉は出ず、そのまま固まる。  
        聞けば先ほどまで二人仲良くお酒を飲んでいたみたいで。 
 
        少し酔いを覚ますと席を立ったときに、この電話をかけたらしい。電話の向こうから、小さく女性の声が聞こえてきた。
         
         
        「それじゃあまたな。機会があったらみんなで飲もうぜ。それじゃ!」  
         
        電話は静かにぷつっと切れた。 
 
        耳に電話をあてながら、ゆりはしばらくの間固まっていた。顔は苦笑いの表情で固まったままだ。  
        そして、数分後、部屋の中に音楽が流れ出した。 
 
        部屋の壁にかかっている時計が0時をさしている。  
        毎日、0時と12時になると短い音楽を奏でる壁掛け時計。 
 
        ゆりは固まったまま、目だけを動かして、時計を見た。  
        0時になった。日付が変わった。今日から私は30代。あぁ、30代……。 
 
         
         
        「なんじゃそりゃーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」  
         
         
        すでに切れている電話に向かってゆりは絶叫した。 
 
        思わせぶった電話をよこしやがって。期待してしまったではないか。 
 
        そういってゆりは、携帯電話を部屋の床にたたきつける。畳敷きの床でバウンドし、携帯は床に転がった。  
         
        「んがーーーーーーーーーー!」 
 
           
        一度は置いた缶ビールを再び手に取る。プルタブを一気に倒し、口につける。  
         
        「結婚がなんじゃーー!!」 
 
         
        喉を鳴らしてビールを流し込み、10本目を瞬く間に空にする。 
 
        テーブルの上のビールが全て空になると、ゆりは立ち上がり、冷蔵庫の前まで足音立てて歩いていった。  
        扉を開け、新たなビールを手にする。 
 
         
        「今日はヤケ酒じゃー!!」 
 
         
        正しくは『今日も』なのだが、それを教えてくれる人物はおらず、ゆりはもてるだけの缶ビールをもって、リビングに戻っていった。 
 
         
        「独身がなんだーーーーーーー!!」  
         
        30代最初の夜。  
        その日、歳の数と同じだけの缶ビールを、ゆりは空にした。 
 
        願わくば、10年後に40本のビールを空けないことを、密かに心の内で祈りながら。  
         
         
         
         
        オワリ  
         
         
         
                 
      
         
       
      
         
       
      
       
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