





|
初恋
- 秋風の吹き始める9月――
その日の夜は、高須家で食事会が行われていたのだ。
食事会……なんて上品なものではなく、実際はただ高須家を借りて皆が食べ、飲んで(といっても酒類ではない)
騒ぐだけの高校生らしいパーティーとでも言おうか。
メンバーは竜児、実乃梨、亜美、北村、それに能登、春田、麻耶、奈々子。
大河を除く、修学旅行メンバー全員。
主催者は北村であり、北村の召集により散り散りになった元2‐Cのこのメンバーがそろったのだ。
そしてこの3年の9月という、皆が忙しく中途半端な時期に集められたのにはもちろん理由があり、
それは竜児の親友である北村が、
「高須を元気つけよう」と提案したからであった。
受験に忙しいこの時期に誰一人欠けることなく集まった理由は……つまり皆、気づいていたのだ。
大河がいなくなり半年、竜児が日に日に元気を無くしていくことに。
例えばそれは竜児の凶悪面に拍車がかかり始めた、とか、制服によく皺が出来ているといった実に竜児らしいことなのだが。
元気つけよう、というのは何とも抽象的であり具体性がなく、 結局は今日のようなパーティーを開いて竜児を誘うという、少し的外れな計画になってしまった。
それでもみんなと馬鹿騒ぎをしている間の竜児は少なくとも楽しそうに笑っていた。
自分たちにはこのくらいしかできないけれど、という皆の不器用な優しさがつまったパーティーの帰り道の出来事。
「んあ!?やべっ」
-
「なに?どうしたのよ?」
-
「財布落としたかも……」
薄明るい街灯のみが灯った道のど真ん中で、実乃梨はポケットを探りながら慌てふためく。
-
「えぇ?櫛枝何しちゃってんの!?」
-
前を歩いていた男3人集も振り返り、呆れ顔を浮かべた。
「ポケットになんか入れておくからでしょ……高須くん家に落としてきたんじゃないの?」
-
「俺に関節技なんてかけてるからだよ〜アホだな〜」
-
「やや…ひどいなあ……てか春田くんには言われたくなかったよ、最後の一言」
「え?俺なんつったけ〜?」
-
あまりのアホの記憶力のなさにさすがに実乃梨は驚愕して、
-
「もういい……ごめん、私ちょっと戻って財布回収してくるからみんな先行ってて!」
-
しかしそんなアホに構っている暇はなく、一人来た道を引き返すことにした。
-
「ああ、気をつけろよ」
-
「はいよ!」
一度太ももを叩いてからくるっと華麗に身を翻し、薄暗い来た道を走っていく。
- 「あれ……?」
-
結局帰り道のどこにも財布は落ちておらず高須家まで引き返してしまい、しかし呼び鈴を鳴らしても
一向に竜児が出てくる気配はない。
-
「お邪魔しまーす……高須くーん?いる、よね?ちょっと忘れ物しちゃって……」
「…………」
-
「高須くーん?」
何度呼びかけても返事がないどころか、電気すらついていない。
もう寝てしまったのかとも思ったが、竜児が家の鍵を開けっぱなしで寝ることなんてするだろうかと、
勝手ではあるが家の中に上がらせてもらうことにした。
一歩二歩と軋む床を踏みしめながら居間までたどり着き
「………っ」
-
月明かりに照らされた部屋の中で、実乃梨は見てしまった。
-
「……高須、くん」
-
がっちりと組んだ膝に顔をうずめ、少しだけ聞こえる鼻をすする音は聞き間違えなどではなく、
「……く、櫛枝!?」
案の定実乃梨の声にやっと気づき驚いて上げられた顔は、かすかに涙で濡れていた。
「ど、どうしたんだ?」
-
焦ったように涙を袖口で拭い、部屋に入れずに立ち尽くす実乃梨へと声をかける。
「あ、えと…財布、忘れちゃったみたいでさ……落ちてなかった?」
-
竜児の声で我に返り部屋の中に入ってきた実乃梨は要件を伝え、
「あ、ああ これか?」
-
「うん、そう。ありがと」
エプロンのポケットから出された財布を受け取りポケットへと押しいれた。
-
「………」
「………」
何だか気まずくて、しかしこのまま何も言わずに帰ってしまっていいべきなのか実乃梨は考え、
悩んだ末ポケットからハンカチを取り出し竜児にさし出した。
目を見開いた竜児はそれを受け取り強く握り締める。
-
「ご、ごめん。私、帰るね」
しかしこれ以上出来ることはないと思い、帰ってしまおうと踵を返したとき、
-
「………っ」
無言で伸びてきた竜児の手が実乃梨の指先を掴み、そのまま行く手を阻んだ。
- 振り返ることはせずに、その腕を振り払おうとしたとき、
-
「なぁ櫛枝……」
「な、何?」
長い間噤まれていた竜児の口から発せられた声はいつも以上に覇気がなく、暗く沈んでいて――
「俺の傍に、いてくれないか?」
「………っ」
そしてそんな声で言われた言葉に、実乃梨は答えることも出来ず腕を振り払うことも忘れ、だた呆然と立ち尽くした。
「……それは、大河が居なくて寂しいから?」
-
やっと出た言葉は自分のものとは思えないほどにどこか冷たく鋭い。
「……悪い、迷惑だよな」
「………」
そう言いながらも、強く掴んだ指先を竜児は離そうとはしない。
迷惑――、本当にそうだよ。そう言えるのならどれほど楽だろう。
黙ったままの実乃梨の手を、竜児は冷たい自身の手で一層強く握る。
何も言えなかった。何を言っていいのかすらわからなかった。
怒るべきなのか、同情するべきなのか。
振り返ってはいけないと思いつつ振り返ってしまい、
-
「………っ」
-
実乃梨は深く後悔することになる。
誰もが恐れる三白眼に似つかわしくない浮かんだ涙。
まるで捨てられた子犬のように竜児の存在は小さく見え、
哀れみとも同情とも違った感情が湧きあがってきて、下唇を強く噛みしめその感情を抑え込んだ。
そんな声で、涙で濡れた顔で言われたら断ることなんてできないのに。
胸の奥で疼く痛みの意味が実乃梨にはよくわからなかった。
浮かぶのは大切な親友の顔。絶対に傷つけることのできない相手、
だけど目の前にいる人も同じくらいに大切で……
「……いいよ」
-
「――え?」
今の自分には頷くことしか出来ないのだと、実乃梨は既に理解していた。
それが正しいのか、正しくないのかはわからなくても。
- ◇◇◇
-
一人が辛くて、寂しくていつから自分はこんなに弱くなったのか。
すがるように投げかけた実乃梨への言葉、
-
「……いいよ」
-
「――え?」
-
返ってきた答えは予想外のものであった。
冗談で言ったわけではないのだが、実乃梨は上手くはぐらかして遠まわしに断ってくるものだと思っていたから。
「高須くんが寂しいなら、傍にいてあげる」
-
月明かりに照らされた実乃梨の顔は困ったようにどこか憂鬱気で、それでも今までに見たことのないほど
優しげで柔らかなもので、竜児は溢れる涙を止めることが出来なかった。
-
「……本当か?」
「うん。『大河が戻って来るまで』、ね」
「おう……ありがとな」
-
「だから泣くなや……な?男だろ」
-
「……おう」
掴んだ手をゆっくりと引きはがされ、正面に座った実乃梨にハンカチで強引に涙を拭かれる。
相変わらず複雑な表情をした実乃梨は何かを言いたげに竜児を見て、だけど何も言わずに窓から差す月明かりに目を細めていた。
斜め前に見えるマンション。
かつては大河が住んでいて、毎日そこで顔を合わせていた。
今は誰もいない。ベランダを開けても、顔を合わせる相手はいない。
再び胸を襲う寂寥感に竜児は近くに置かれた実乃梨の手を掴もうとして、止めた。
大河もこんな気持ちなのだろうかとふと思うと、改めて自分がどれほど弱い人間なのかが思い知らされるのだ。
みんなが幸せになることを望んだ。周りの人みんなが。もちろんその中には自分と大河も含まれていて、
なのに、どうして上手くいかないんだろう。
「……櫛枝」
「ん?」
-
「ありがとう」
-
竜児の言葉に少し黙って、そして「一緒に大河を待とう」とその一言だけを実乃梨は小さく呟いた。
彼女の友達、友達の彼氏。だけどお互いは初恋の相手。
大河が戻って来るまでの間、一緒にいる。
交わされた奇妙過ぎる約束、友達以上恋人未満な不思議な関係。
誰にも内緒で始まった、俺たち……私たちの物語。
お互いの寂しさを少しずつ癒していくうちに、その関係が変わるなんて思ってもいなかった。
自分たちは子供で、どうしょうもなく幼くて、先の悲しみなんて想像も出来ずに。
誰かの幸せの裏には誰かの不幸が必ずあるのだと、気づくことなど出来なかった。
頑張る姿を、想いを、ずっとずっとずっと信じて伝え合っていくと誓った相手。
その絆は、永遠を約束されたはずだった。
―――続く
|
|