竹宮ゆゆこ総合スレ SS補間庫
   

 

 太陽の煌き〜Vの上〜



学校生活は、数々の輝くエピソードに満ち溢れている。
学校行事なら入学式から始まり、体育祭や文化祭、林間学校や球技大会、そして、一番のメインは修学旅行。
その他は、友達との笑いあった雑談や、愛しい人との甘い思い出。
これら全ては、各人の思い出のアルバムの一ページに刻み込まれる。
年月が経って、「ああ、あの頃はこんなことがあったな……」と、何年経っても色褪せない大切な宝物になっていくだろう。

「なあ、ここってコレでいいのか?」「ああ、そんな感じだな」「ちょっと、そこにあるやつ取ってくれない?」「コレのこと?ヨイショっと……はい、重いから気をつけてね」

ここ大橋高校でも、現在進行形で思い出のアルバムを、一ページ一ページ創っている最中だ。
一週間後に控えた文化祭に向けて、生徒が一丸となって頑張っている。出店の外装を作ったり、看板を作ったり、衣装を作ったり、協力し合いながら完成に向けて汗を流す。
その過程の一つ一つが、かけがえの無い宝物に変わっていく。

2−Cでも、皆文化祭に向けて精を出している。
2−Cが文化祭でやるのは『ドラゴン食堂』、簡単に言えば喫茶店みたいなものだ。メニューはフライドポテトやサンドイッチなどの軽食メニューや、パフェやケーキなどのデザート系だ。それらの料理を担当するのは、とある男子と女子だ。

高須竜児と櫛枝実乃梨だ。
高須竜児は大橋高校でもかなり有名だ。しかしその有名は、決していい意味での有名ではない。高須竜児が有名のは、その顔による為だ。
はっきり言うと、ものすごく怖い。その顔を見ればヤンキーが裸足で逃げ出すほど、怖い。故に、竜児は大橋高校では「ヤンキー高須」として、恐れられていた。
しかし、そんな外見の竜児だが、内面はとても優しい男子である。加えて、家事全般のスキルが物凄く高い。料理をやらせれば主婦も舌を巻くほど美味しい物を作り、掃除に至っては見ている方が引く程の熱心さを出す。
その竜児の料理スキルを見込まれ、今回の『ドラゴン食堂』の料理を任されたのだ。

そして、もう一人の櫛枝実乃梨は女子ソフトボール部の部長だ。その性格は天真爛漫で、誰にでも分け隔てなく接する。そして、ひとたび学校が終わると、今度はバイトに精を出す勤労少女へと変身する。いくつものバイトを掛け持ちして、一心不乱にバイトに勤しむ。
ファミレスでのバイト経験も豊富で、パフェを作らせたら実乃梨以上に早くできる奴はいないと言われるほど、パフェ作りは早い。その上料理スキルも、竜児と同じとはいかないものの、かなり高い。それらのスキルを見込まれ、『ドラゴン食堂』のデザート系を任されたのだ。

その二人は、今2−Cにはいない。今は家庭科室で料理を実際に作って、どれだけの量を作ればいいか、どれぐらいで出来るのかを確認中だ。加えて、二人の料理の味見も兼ねていた。
提案したのは勿論アホの春田。確認云々は建前で、本音はただ単に料理が食べたかっただけだろう。
その証拠に、手は動いてはいるがそれだけで、傍から見れば全く何も作業が進んでいなかった。

「高っちゃんと櫛枝まだかな〜」

終いにはこんなことまで言い出す始末だ。

「こら春田、ちゃんと手を動かせ。ぜんぜん進んでないぞ?」

そんな春田を、北村が注意する。さすが生徒会副会長、本来この行事のまとめ役の春田よりしっかりしている。
しかし春田は北村の言うことを聞かずに、ひたすら竜児と実乃梨の料理を待っている。
そんな時、教室の扉が開くとき特有の「ガラガラッ」、という音が鳴った。一斉にクラスの視線が集まる。
そこには、全てのメニューを確認のために作った竜児と実乃梨が、お盆に料理を乗せながら立っていた。

「ほら春田、作ってきたぞ。どこに置けばいいんだ?」

「流石高っちゃん!全部俺の目の前に置いてくれよ〜!」

そう春田が言った瞬間、クラスの皆から一斉に非難の目が注がれた。その視線には、『何でアホなだけのお前の目の前にしか置かないんだよ?普通は机の上とかだろ?』という感情が大量に含まれている。
流石の春田もクラス全員からの非難を感じることは出来たようで、冷や汗を流しながら近くの机に置くように竜児に指示した。
竜児と実乃梨が机にお盆を置いた瞬間、歓声が上がった。

「うぉ、スッゲェ!」「これマジで高須と櫛枝が作ったのかよ!?」「キャー、美味しそう!」「ねえねえ、味見してもいいよね!?」

二人の作った完成度の高い料理を見たクラスの皆が、我先にと料理に向かっていった。その様子を、嬉しそうに眺める竜児と実乃梨。

「クラスの皆にも認められそうだな、く、櫛枝」

「そ、そうだね、高須くん」

お互いに笑いあいながら、そんなことを話す。
しかし、どことなくぎこちない。笑顔が強張っており、互いに違う方向を見ようと目を逸らしている。傍から見たら不審極まりない。
しかし、今クラスの視線は二人が作ってきた料理の方に向いており、変な雰囲気を出している二人を見た人はいなかった。







 ◇ ◇ ◇





こんなことをしながら、文化祭準備期間は終了していった。
いよいよ明日は、文化祭本番になる。そんな時に、教室には7人の影があった。もう準備は完了しており、他のクラスの皆は帰っていった。教室にいたのは、北村、能登、春田、大河、亜美、木原、香椎の7人だ。

「で、逢坂、俺たちを呼んで何か用か?」

「うん、実は、皆に協力して欲しいの」

北村の問いかけに、大河は力強く頷きながらそう言った。

「協力?」

「何の協力をするの〜?」

「それは……」















「そっか、そうなんだ……」

「高須君、櫛枝のことが好きだったんだ」

「まぁ、分かりきったことだったけどね」

木原、香椎、亜美が、大河の話を聞いて思い思いの感想を述べていく。

「知らなかったな、高須が櫛枝のことが好きだったなんて」

「大先生も知らなかったのか?」

「そんじゃ俺らが知ってないのも頷けるな〜」

北村、能登、春田の三人が、少し寂しそうな顔をした。友達の高須が自分たちに隠し事をしていたのが寂しかったんだろう。

「で、皆、さっきの話、協力してくれる?」

大河が、皆に視線を向けながら聞いた。
大河の申し出に、首を横に振るものはいなかった。

「勿論だ逢坂!高須のためだ、俺は何だってやるぞ!」

「断る理由が無いしな」

「うんうん、俺も協力するよ〜」

「あたしらも、出来ることがあればやるよ。ねえ、奈々子、亜美ちゃん?」

「フフフ、ええ、あたしたちに出来ることならね」

「まあ、上手くいくとは限らないけどね」

皆が皆、肯定の意を表す。
そんな皆を見て、大河の顔が笑顔に変わっていく。まるで家族のことを見ているかのような優しい笑顔だ。

「じゃあ、具体的な作戦だけど……」











「よし、それでいこう!衣装は会長に頼めば何とかなる筈だ」

作戦の大筋は決定した。元々大河が思い描いていた展開の作戦だ。

「けど、それだと不確定要素が多いな」

「うん、もし他の人に権利がいったら……」

能登と木原が不安そうな顔になり、弱気な発言をする。無理は無い。大河が立てた作戦は成功率が高くない。良くて半々ぐらいだろう。
もしその作戦に失敗したら、とんでもないことになるのは誰が考えても分かった。
だが。

「信じよう、高須を、櫛枝を」

そんな心配を吹き飛ばすかのように、北村が自信を持ってそう言った。
北村のその顔は本当に自信に満ち溢れており、一片の不安すらも感じない顔つきだった。

「うん、竜児ならきっと大丈夫。絶対に、大丈夫」

北村に感化されたのか、大河も自信を持って言う。
そうすると、他の皆も北村と大河と同じように晴れ晴れとした顔になった。少し前の辛気臭い不安だらけの顔は、もう無かった。

「信じよう。高須と櫛枝なら大丈夫だ」

最後にもう一度、確認するように北村がそう言った。
何か根拠があるわけではない。親友だから信じる。信じられる理由なんて、それだけで充分だった。






 ◇ ◇ ◇






大橋高校に、数多くの人が入っていく。他校の制服を着ている者もいれば、私服の者もいる。
着ている服は皆まちまちだが、その顔は皆一緒で期待と興奮に満ちている。
そんな人たちが入っていく校門には、アーチがあった。そのアーチには、『ようこそ、大橋高校文化祭へ!』という文字が書かれていた。
そう、今日は大橋高校の文化祭。
遂に、運命の文化祭が始まった。









そこは、なんと形容すれば良いのか。
分かりやすく言えば、文化祭真っ最中の2−Cの教室の黒板側に設けられた料理スペース、その中だった。

「春田、焼きそばの麺!」

「ふわあぁぁい!?」

「能登、フライドポテト!」

「ちょ、待ってくれ高須、今手が放せない!」

「誰でもいい、早くフライドポテト持ってきてくれ!」

「ほら、持ってきたぞ高須っ!」

「ぅわ、危ねえな!気をつけろ!」

「そっちこそちゃんと周りを見ろよ!」

「ヤバイ、ジュース切れた!」

「おし、俺買ってくる!」

だがしかし、そんな生温い表現ではここの熱気は表せない。
中にいる男子は皆般若の形相で走り回っている。顔から滝のように汗が流れ、着ているTシャツは汗を吸って気持ちが悪い。絞ったら汗が滴るんじゃないかと思うほど、Tシャツは汗を吸っていた。
そんな中で一際般若、いや、阿修羅顔で汗を流しながら鍋やフライパンを振っているのは、竜児だ。一方で他の生徒に指示を出し、一方で料理を作る。竜児以外の男子には出来ない芸当だ。

2−Cのみんなの思惑通り、『ドラゴン食堂』は大盛況。客の入りは他のクラスの何倍もある。
のだが。
如何せん、大盛況すぎる。客が引っ切り無しにやって来ていて、今でも教室の前には文化祭の光景とは信じられないくらいの長蛇の列を形成している。
最初の方は普通の文化祭の光景だったが、ある時を境にして、一気に忙しくなった。恐らくは最初の客が口コミで広めたのだろう。嬉しいけど、滅茶苦茶忙しい、死にそう。男子の顔がそう語っていた。
「高須くん、フライドポテトまだ!?」

接客を担当しているのは2−Cの女子だ。その装いは制服の上に皆でお揃いで買った白のエプロンを掛けている。それだけでも、いつもとは少し違う印象を受けるのは、文化祭独特の雰囲気のせいだろう。
ちなみに、2−Cは他のクラスに比べて女子のレベルが高い。亜美、木原、香椎の美少女トリオを筆頭に、凶暴だが見た目は精緻なフランス人形の様な可憐な大河、その他にも学年の可愛い女子が集中しているという何とも男子には嬉しいクラスだ。
そのため、へんにコスプレしなくても充分入ってみたくなる空気を醸し出している。まあ、コスプレはしてないと言っても、『学生の制服』も立派なコスプレなのだが。
そんな2−Cの中の一人、亜美が料理スペースの中に入ってきて文句を言った。

「おう、今やってるからもう少し待て!その前にコレ、焼きそばとミートソーススパゲティ!頼むぞ川嶋!」

「OK!」

「あーみん、コレもお願い!チョコレートパフェとレアチーズケーキ!」

「それは私がやるよ、みのりん!」

「ほい、任したよ大河!」

本当に、本当に忙しい。
誰がこの大盛況を予想したか。
誰も彼も一生懸命動いている。
実乃梨も、今は太陽の様な笑顔も出ない。勤労少女のときに見せる真剣な顔つきだ。

「高須くん、まだまだ行列は無くならないわよ!フライドポテト5つ、焼きそば3つ、ミックスサンドからし抜き1つと普通のヤツ3つ追加!」

「おう!」

亜美が元気に竜児に言う。

「竜児、ホワイトクリームパスタ2つ、カツサンド4つ、フライドポテト3つ追加!」

大河が偉そうに竜児に言う。

「おう!?」

「高須くん、フライドポテトと焼きそばとタマゴサンドを2つずつ!」

木原が忙しそうに竜児に言う。

「お……!?」

「櫛枝、チョコ、イチゴ、バナナ各種のパフェを3つずつ!」

「任された、奈々子っち!」

香椎がおっとりした雰囲気で、しかし急いで実乃梨に言う。

そして最後に。

「絶対的に……人手が足りねええええぇぇぇぇぇぇ!!!」

竜児の心の底からの、魂の慟哭が2−Cの料理スペースに響き渡った。
誰もが同じことを思ったが、同意している暇すらないので、誰も反応せず、竜児の慟哭は虚しく消えていった。




 ◇ ◇ ◇




「あ、あり得ねえ……」

教室に、竜児の疲れきった呟きが響く。その声に応える声は無い。いや、強いて言えば「う〜ん……」や「あぁ……」といった、うめき声にも似た疲れの言葉が返されたぐらいか。
竜児は、まるで溜まった疲れを吐き出すかのようにため息をついた。長い、長いため息だった。

「まさか、材料が無くなるとは……」

そう、竜児が呟くように『ドラゴン食堂』の為に買い込んだ材料が全て無くなったのだ。詳しく言うなら、必要と思った量の3倍の量の材料を買い込んだのに、だ。
最初は竜児が、

「絶対に、どんなことがあっても、この量は余る。MOTTAINAIから量を減らせ」

と言っていたが、北村を筆頭にしたクラス全員が、竜児の意見を却下した。理由としては、竜児の料理を試食したからだろう。
その美味しさの余り、根拠の無い自信をクラス全員が持って、竜児を無理やり納得させてしまった。
だが今となっては竜児の心配は要らぬ心配で、量を増やしてよかったと思っているのだが。
お陰でお客の入りは他のクラスとは比べ物にならないくらいに多い。出し物での1位は2−Cで決まりだろう。
まあ、その反面、尋常じゃないほど疲れが溜まったが。あの実乃梨でさえ、机にだら〜ともたれ掛かっている。
竜児も一緒だ。特に竜児は指示に料理にてんやわんやだったから、当然といえば当然か。

「ん、なんだ?」

机で体力の回復を図っている竜児のわき腹を、誰かが小突いた。
その誰かとは、大河だった。

「なんだ、じゃないわよ駄犬。あんた、みのりんを誘うんじゃなかったの?」

「うっ……」

痛いところをつくな、と竜児は思った。
色々あって、実乃梨を誘うことはまだ出来ていない。その色々というのは、竜児自信がウジウジしているだけだったのだが。
そうやってズルズルと当日まで来てしまい、未だに誘えないでいる。

「で、でもだな、もし、断られたら……」

「もう、どこまでヘタレなんだこのヘタレンジャー!ああだこうだ言ってないでさっさとみのりん誘ったらどうなの!?言っとくけどね、みのりんモテるんだからね。今まで何回紹介してくれって頼まれたか」

「そ、そうなのか……!?」

「そうよ。厳然たる事実よ」

ちなみに、その大河に実乃梨を紹介してくれと頼んだ男子は大河によってトラウマを刻み込まされ、二度と二人に近づかなかったという。そのことと告白相手に問答無用で罵倒やグーパンチをお見舞いしてきたから、大河は大橋高校で『手乗りタイガー』と呼ばれるようになった。

「早くしないと、誰かにみのりん取られちゃうよ?」

「……」

そう大河に言われ、竜児は想像してしまった。実乃梨が、見知らぬ男子と仲良さそうに話している光景を。実乃梨が、はにかみながら見知らぬ男子と手を繋いでいる光景を。
その瞬間、どす黒い感情が竜児の腹の中で渦巻いた。嫉妬という名の、醜くも激しい炎の感情が。
それと同時に、心臓も嫌な感じでドクドクと脈打った。気持ちだけが早まっていて、空回りをしている、焦りによって。

「それが嫌なら、早くみのりんを自分のものにしなさい。それで、思う存分幸せを噛み締めなさい」

「……」

竜児の顔から大体の感情は読み取れたのだろう、大河が励ますように優しく言った。そこに、いつもの猛々しい大河はいなかった。今の大河は、恋に悩んでいる息子にアドバイスをしている母親のような顔だ。

「……大河、俺ちょっといって来る」

「ええ、いってらっしゃい。精々頑張んなさい、竜児」

そう大河に言われて、竜児は力強く席から立ち上がった。
瞬間、

「きゃあっ!?」

「おう!?」

誰かが近づいていたのか、背中が誰かとにぶつかってしまった。

「わ、悪い、大丈夫……おう!?」

「あ、いや、物音も無く近づいたあたしも悪いよ」

ぶつかってしまった人物、それは実乃梨だった。
竜児にとって、ぶつかったことと、今から誘いに行こうとしていた本人がぶつかった相手だったから、二重の意味で驚いた。

「い、いや、俺も悪かった……」

そう言って、黙ってしまった竜児。大河に背中をツンツンされる。「早く誘え」と言いたいのだろう。
竜児は意を決して、口を開く。


「な、なあ櫛枝」

絶対に、さっき想像した通りにはさせない。

「ん?なんだい、高須くん?」

実乃梨の隣にいるのは自分なのだと、強く願う。
そして、その権利を獲得するために、その一歩として、実乃梨を文化祭に誘うのだ。

「お、俺と、一緒に、その……文化祭を回らないか?」

言えた。遂に言えた。言おう言おうと思っても言えずに、今日まで先延ばしにしてしまっていたが、結果的には言うことが出来た。
少し、前に進めた気がした。ほんの少し、それこそ一歩分も進んでない気がするが、それでもいい。塵も積もれば山となる、と言うように、小さな積み重ねが成功に繋がるからだ。
竜児が言った後、少しの沈黙があった。その沈黙は竜児にとって、一瞬にも永遠にも感じられた。心臓はバックンバックンだし、手汗はかくし、喉はカラカラになるしで、凄く緊張をした竜児。

「え、えっと……」

ようやく、実乃梨が口を開く。竜児が実乃梨を見ると、心なしか顔を赤くしているように思う。
その顔の赤みが何であるか、今の竜児には考える余裕が無い。

「へ、返事から言うと、いいよ……」

「え、ってことは……」

「うん、高須くん、一緒に文化祭回ろ」

実乃梨が頬を赤くした笑顔で、竜児にそう言った。
その言葉を理解した瞬間、竜児の心は嬉しさで跳ね上がった。

「ああ、ありがとう、櫛枝!」

「いやだな〜、高須くん。お礼なんて言うもんじゃないぜ?あたしは申し出をOKしただけだしさ」

「お、おう。それもそうだな」

「それより、驚いたな〜」

再び顔を赤くしながら、実乃梨はそう言った。

「ん、何をだ?」

「実はさ、あたしも高須くんを文化祭に誘おうと考えてたんだよね」

はにかんだ笑顔を向けながら、実乃梨が言った。

「え……?ど、どういうことだ?」

「北村君にさ、『今日の成果は高須と櫛枝のお陰だ。だから、後片付けは俺たちに任せて高須と一緒に文化祭を回ってきたらどうだ?』って言われてさ。折角だし、お言葉に甘えようかな〜って思ってさ」

「そ、そうか」

「……それに、確認したいこともあるし」

「へ、何か言ったか?」

ボソボソっと実乃梨は呟いた。しかし、竜児には届かなかった。

「う、ううん!何でもないぜよ!さ、そうと決まったら高須くん、時は金なりなんだから、早速行こうぜ!」

しゅっぱーつ、しんこー!と竜児の手をとって元気よく走り出して、教室を出て行った。

「ちょ、櫛枝!ま、待ってくれ!急に……」

という竜児の声だけが、教室に残されていった。

大河は北村の方を向く。大河の視線に気づいたのか、北村は大河に向かって満点の笑顔と親指を立てた拳を突き出した。
大河も釣られて笑顔になり、親指を立てて拳を突き出す。他にも、能登と春田が笑いあったり、木原と香椎が手を取り合って喜び合ったり、亜美が「やっと言ったか」というような、出来の悪い子供を見るような顔をしたりしている。

運命の作戦まで、あと数時間。着々と、準備は整いつつあった。






 ◇ ◇ ◇





「……」

「た、高須くんさ、元気出して。ホラ、あたし女ソフのキャプテンじゃん?それに小さい頃から野球やってたし……」

「それでも、なぁ……」

男としては云々、と呟いている。誰が見ても落ち込んでいると見えるように、竜児は落ち込んでいた。そんな竜児を、実乃梨は必死に慰めている。
周りから見たら、女子ソフトボール部のキャプテンが、大橋高校で1、2を争うほど恐れられているヤンキー高須を慰めているように見え、実乃梨も実は怖いのか?と思われていた。
だが決して、そんなことは微塵もない。
竜児が落ち込んでいるのには、ある理由がある。時間は、十数分前まで遡る。




成り行きで教室から手を繋いだままだった二人だったが、冷静になって改めて自分たちの状況を見てみたら急に恥ずかしくなり、どちらともなく手を離してしまった。
そこで少し気まずくなりはしたが、そこは文化祭という常にはない活気と興奮に満ちた雰囲気が何とかしてくれた。
辺りを見渡せば数多くの出店があり、その出店から涎を誘う美味しそうな匂いが漂ってきたり、楽しそうなゲーム形式の出店もあった。

「よっしゃ高須くん、遊びまくるよ!ついて来る覚悟はあるかい?」

「おう、望むところだ!」

折角貰った自由時間なのだ。精一杯楽しまないと罰が当たる。そう思った二人は、まずは腹ごしらえと、近くの焼きそばを売っていた出店に向かった。

その後も、色々な食べ物の出店を回り、お腹も満たされてきたから、今度はゲーム形式の出店を回ることにした。射的や輪投げ等の王道的な物もあり、何故か分からないがビーチフラッグスなんていう、何で文化祭に?という場違いなゲームもあった。
勿論、竜児と実乃梨は全部を制覇した。ちなみにビーチフラッグスの勝利は、あられもなく全力を出した竜児の辛勝だった。少しでも気を抜いていたら、実乃梨にすぐさま抜かれていただろう。
そのことで気を良くした竜児。ビーチフラッグスで勝利して調子に乗ったのか、再び実乃梨に勝負を挑んだ。それは、ストラックアウトだった。

「ふっふっふ、櫛枝。今度はこれで勝負だ!」

「おうよ、望むところだぜ!」

この勝負を挑んだとき、竜児は失念していた。
実乃梨が、女子ソフトボール部の部長ということに。







で、現在に至るわけだ。簡単に勝敗を言うと、竜児の完敗だった。詳しく言うと、先に竜児が投げて、全部投げ終わって7つ当てることが出来た。まあまあだな、と余裕綽々で実乃梨の投げる姿を、腕を組みながら見る。
数分後、その顔は引きつることになった。
なんと、実乃梨は1球も失敗することなく、全部の的を打ち抜いてしまった。しかも、1、2、3、という風に、番号順に打ち抜いていくというオマケ付で。
そんなことがあったから、竜児は男のプライドを見事なまでに粉砕されてしまった。まさにブロークンハートだ。そして今は、そんな心のアフターケアの最中だ。実乃梨の言葉一つ一つによって、粉々にされた心が、見事なまでに元通りになっていく。

「だから、ね?元気出しておくれよ。高須くんがいつまでもそんな状態だと実乃梨は悲しいぞよ」

オヨヨイ、と泣きまねをする実乃梨。

「……ん、分かった。いつまでも落ち込んでたら仕方ないよな」

と、ようやく竜児は回復した。
もっとも、傷つけられた心の傷は、完全には癒えないと思うが。やはりどんな男子も、好きな女子にはカッコイイ姿を見せたいものだ。
それが裏目に出て、かっこ悪い姿を見せてしまった(と、竜児は思っていたが、実乃梨はさほど気にしていない)。竜児のダメージは、同じ男子なら頷けるだろう。

「で、櫛枝、他に行きたいところは無いか?」

気分を変えようと、そう実乃梨に尋ねる。

「……」

しかし竜児に言われても、実乃梨は何も言わない。

「櫛枝?」

何も言わない実乃梨を不審に思い、再度聞き返す。
その竜児の聞き返しから数秒して、言いづらいことを言うように、重そうに口を開いた。

「あと、一つだけ。一つだけ行きたいところがあるの。いい、かな?」

と、竜児に意見を聞く。

「もちろんだ、一つと言わず、何個でもいいぞ」

「ううん、あと一つでいい。それに、時間的にもそこで最後だと思うから」

「時間?」

「ミスコンだよ、高須くん。大河の晴れ舞台なんだから、絶対に見に行かなくちゃ!」

「えっ、もうそんな時間か?」

そう言って、竜児は校舎に取り付けられている時計で時間を確認する。

「おう!?もうこんな時間なのか」

予想以上に時間が経っていたことに驚く竜児。
そんな竜児を、実乃梨は促す。

「だから、ね?行こう、高須くん」

「おう、そうだな」

そう言って、歩き出す二人。
実乃梨の方が若干前を進んでいる。

「なあ櫛枝。ところで、その行きたいところってのは、どこの出店なんだ?」

そんな実乃梨の背中に、竜児は疑問をぶつける。
そんな竜児の疑問を聞き、実乃梨は歩みを止め、竜児の方に振り返る。
そして、顔を赤くながらも、笑顔で言った。

「お化け屋敷だよ」








 ◇ ◇ ◇







「……」

「……」

今二人は、三年生が催しているお化け屋敷の中にいた。お化け屋敷と言っても、文化祭でやる規模だから、そんなに手は込んでない。教室を黒い幕で覆って光を極力さえぎり、後はコースを簡単に作って、生徒がお化けの役をするという、ごく普通の文化祭のお化け屋敷だった。
竜児には、実乃梨がお化けや心霊現象などの、いわゆるホラーやオカルトといった類が好きなのは知っていた。記憶に新しい、夏休みでの出来事で知った。そんなことから、実乃梨はこのお化け屋敷に来たんだと推測した。
しかし、そうならおかしな点があった。
実乃梨が、全く反応を示さないのだ。さっきから一生懸命二人を驚かそうとしている三年生には、本当に申し訳なく思うぐらい無反応だった。
竜児は時たま「おう!?」や「ぬお!?」などの声を出しながら驚いたのが、唯一の救いだった。もっとも、その竜児の驚いた顔を見た三年生は逆に驚かされる羽目になっているのだが。いつものことだ、と竜児はため息をつく。
そして、相も変わらず無反応に歩いている実乃梨だったが、とんでもない行動にでた。なんと、竜児の手を握ってきたのだ。

「おうっ!!??」

実乃梨の手の温かさと柔らかさ、それと手を握ってきた実乃梨の行動に、今日最大級の驚きと緊張を、竜児は感じた。
教室を出て行くときに成り行きで手を繋いだが、それとは比較に成らないほどの緊張だ。
竜児が実乃梨を見てみると、その目は俯いてよく見えないが、実乃梨も緊張していることは分かった。顔は暗闇でも分かるほど真っ赤だし、繋いだ手はかすかに震えていた。

「……」

何故がこんな行動に出るのか分からなかったが、緊張している実乃梨を安心させるために、竜児は実乃梨の手をしっかりとした強さで握り返した。

「っ……!」

実乃梨の息を呑む音が聞こえた。しかし、手を離すことはしなかった。
突然の行為に驚きと戸惑いと疑問が沸いて出たが、そんなことは些事と思うほどの嬉しさが、竜児の胸には溢れていた。

「ありがとうございました〜」

お化け屋敷を出て、背中に三年生の女子の声が投げかけられた。それには大した反応は見せず、二人は歩き続ける。どこに向かうわけもなく。
竜児は、どうして手を握ってきたのか、実乃梨に聞き出したかった。しかし、実乃梨はそんなことを聞かせない雰囲気を出していた。
沈黙を保ったまま歩いていると、実乃梨が急に立ち止まった。手を握り合ってたから、自然と竜児も止まる。

「ど、どうした、櫛枝?」

「……」

実乃梨は数秒間、押し黙り、考える。口に出す言葉を選んでいるのだ。
数秒間思考すると、言うことが決まったのか、竜児の方に向き直り、ゆっくりと口を開く。

「高須君はさ、あーみんの家の別荘でした幽霊の話って、覚えてる?」

「あ、ああ」

竜児は実乃梨がなぜそのことを話し出したのか分からなかったが、取り敢えず覚えていたので肯定した。
そう、忘れる筈がない。夏休みに亜美の別荘へ皆で旅行に行って、そこで偶然実乃梨と二人きりになり、幽霊の話をした。
実乃梨は言った。私に幽霊は見えないと。私に恋は出来ないと。一生、好きな人は出来ないと。

「あの時、私には一生幽霊は見れないって思ってた。どんなに私が信じてても、見えないものは見えないって思ってた」

「……」

竜児は何も言わずに、先を促す。

「実際に今まで見れなかったから、それがこれからも続くんだなって思ってた。そんな風に、私の人生は見えずに終わっていくんだって、諦めてた」

「そうか」

「でもさ、最近、感じるんだよね。幽霊の、存在。私を見てくれてるかもしれない、幽霊が」

「……」

竜児は、実乃梨が何を言いたいのか理解した。ここまで言われておいて気づかないほど、竜児は鈍感じゃない。

「それで私も、そんな幽霊をさ、見てみたいって思うんだよ。今までさ、そんなことを思うことなんてなかったのに。本当に不思議だけど、確かに、その幽霊を、私は見てみたいの。
高須くん、高須君はさ、あの時、私に見てほしがってる幽霊がいるかもしれないって言ってくれたよね?じゃあさ、その幽霊に心当たりはある?」

「……それは……」

「高須くん、その見てもらいたい幽霊って、実はさ……」

と、実乃梨は続けようとした。
しかし、

「いたーーーー!!」

誰だか知らないが、二人のいい雰囲気を大声で全力でぶち壊した。



「は……?」

「へ……?」

二人とも、間抜けな声を出して、大声のした方を見た。
そこには、鬼の形相でこちらに走ってくる生徒会長、狩野すみれがいた。
ものの数秒で二人の下に辿り着き、そのまま実乃梨の手をつかんだ。

「櫛枝、甘い時間を堪能中悪いが、緊急事態だ!」

「な、何なんですか狩野先輩!?」

「いいからつべこべ言わずについて来い!ってか連行する!」

言うや否や、すみれは本当に櫛枝を連行していった。

「ちょ、狩野先輩!?い、今やっと決心したのに〜……!」

実乃梨の叫びが、虚しくも廊下に漂い、そして消えた。
残されたのは、ポカンとしている竜児一人。

「一体、何だったんだ……?」

嵐のようにやってきたすみれ。現状の把握が追いついていない竜児は、ポカンとしたまましばらくそこに佇んでいた。
そして、思い出したように頭を抱えながら呟いた。

「櫛枝の話、聞きそびれた……!」

呟いても何も変わらない。独り言を呟いた孤独感だけが、竜児の胸に渦巻いただけだった。