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雫
- 誰かに縋り付きたいような夜。
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そんな日に限って、伯父も伯母も居ない。
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泣きついたり、甘えたりするわけじゃない。 ただ、自分以外の人が近くに居る。
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それだけでもいいのに。
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思えば、今に始まったことじゃない。
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いつだって、いつだって、誰かに助けて欲しい時に限って、あたしは独りだ。
あたしは嘘つきで、皆を騙し続けているから・・・。
稽古場から逃げるように飛び出して、一目散に家路を辿る。
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逃げるように・・・・・・って? 笑っちゃう。
実際、逃げ出したくせに。
自分がみてくれだけの空っぽな偶像だってのは、知っているつもりだった。
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演技が下手なのだって、最初なんだから仕方ないと言い聞かせてた。
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だから悪口を言われても平気だと、我慢すればいいんだからと。
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けれど、ずっとがんばっていた子達をなんの苦労もせずに踏みつけていくなんて、
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そして、そんな子達の恨みを突きつけられるのが此れほど痛いなんて、
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あたしは、耐えられなかったんだ・・・。
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鍵を持つ手が震えて、なかなか家に入れなかった。
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上ずった自分のうめき声がキモイ。
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やっと扉を開くと、一目散にバスルームへと向かった。
乱暴に服を脱ぎ散らす。
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どこからか、ボタンがちぎれ飛んで、床に落ちる音。
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冷たいバスルームに飛び込んで、頭からシャワーをかぶる。
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なんとか間に合った。
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最初の冷たい水に竦み上がりながら顔を上げ、顔面でシャワーを受ける。
ぎりぎり、泣かずにすんだ。
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お湯の勢いが強くて、下を向いた顔を、熱い液体が流れていく。
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これは、涙、なんかじゃ、ない。
体を滑り落ちるお湯が、凍えきった体を溶かしていく。
体を打つ水音が、己の醜いうめき声を消していく。
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それだけでも、少しは救われるような気がして。
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あたしは身じろぎ一つ出来ないまま、シャワーを浴び続けていた。
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けれど、心を洗い流すことは出来ない。
お湯の温もりも、心までは届かない。
・・・助けてよ・・・
・・・誰か・・・
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・・・寂しいよ・・・
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・・・寂しくて、寂しくて、寂しくて、寂しく、て ・・・堪らないよ・・・
―――誰も居ない家。
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少女はただひたすらに土砂降りの雨に打たれている。
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自然の雨なら、激しさの中にも、生命を労わる優しさを秘めている。
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だが、今少女を打ち据えている人工の雨は、ただ、激しいだけだった。
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どれほどの時間が経った頃か。
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やがて少女は、激しい雨から身を守るかのように、己の肩を抱く。
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幼い頃から、その少女には『あるべき姿』が決められていた。
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その姿でいる限り、少女は褒めて貰える。 皆にもてはやされる。
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皆、少女にその姿を求めているのだ。
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―――それは、確かにその少女の一部ではあったが、決して全部ではない。
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いつしか少女には『影』が生まれていた。
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『あるべき姿』が輝けば、輝くほど、『影』もまた、存在を確かにしていく。
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少女に惹かれた者たちも、『影』を知ると皆離れていく。
少女は己の『影』に戦慄し、より一層『あるべき姿』に固執した。
―――それらは、確かにその少女の一部ではあったが、決して全部ではない。
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だが、少女は『影』を見られる度に失われる繋がりに、意義を見出せなくなっていた。
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いずれ消えていく繋がりなど要らない。
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『あるべき姿』で付き合うだけで、それでいい。
諦観。
そして訪れる孤独。
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もしも、全てを曝け出して、それでもなお、少女を抱きしめてくれる者に出会えたなら。
少女はきっと、救われるのだろう。
しかし、今は誰も居ない。
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縋り付くべき腕も、飛び込むべき胸も、少女の手の届くところには、無い。
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だから、それは必然だったのであろう。
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少女を抱きしめる腕は、少女自身の腕だった。
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濡れた唇が、誰かの名前を紡ぐ。
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それは完全に名前の形を成す前に、きり、と結ばれた少女の唇に遮られる。
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俯く少女の頬には繊細な髪が張り付き、白い大理石のような滑らかな肌に模様を成す。
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伏せられた睫毛に絡んだ水滴が、揺れる瞳と輝きを競う。
その大きな琥珀がかった双眸も、高すぎない筋の通った鼻梁も、紅玉の如き唇も、
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奇跡のようなシンメトリーを成し、小さく美しい輪郭にバランスよく収まっている。
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古のギリシャの彫刻家が彫ったかのような相貌は、シャワーで温まった故か、
あるいは、別の理由か、桜色に上気している。
肩を抱きしめていた少女の指は、滑るように贅肉を一切廃した鎖骨を横切り、少女の体脂肪の
大部分を占めるのではないかと思わせる、美しい膨らみに流れ着いた。
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双丘は少女の指によって自在に形を変える。
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潰され、持ち上げられ、離れ、あるいは寄せられ、跳ねる。
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やや褐色がかったピンクの先端はたちどころにその体積を増やし、天を突き刺す。
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少女の唇から、微かに甘い声が漏れ始める。
やがて、少女の右手は乳房を離れた。
拘束を逃れた右の膨らみは、先ほどまで、まるで液体のように形を変えていたというのに、右手
の支持を失っても、美しい半球形を保ったままだ。
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少女の右手は、微かにあばらの線が見える胸郭から、滑らかに窪んだ鳩尾を過ぎ、腹筋の存在
をうかがわせる腹部、臍、細くくびれた腰を過ぎ、腰骨の突起も、緩やかな曲線を描く下腹も通り
過ぎて、ついに茂みに覆われた小高い丘に達する。
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茂みをかき分け、丘を均すように右手が弄る。
足の付け根から見れば唐突に盛り上がったそこは、少女の手によって、切なげに変形する。
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そして、堪え切れなくなった様に、丘の中腹から始まる渓谷に指が滑り込んだ。
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少女の体が震える。
肉感的だが、その長さ故、寧ろ細く見える足が、体重を支えることを拒否したのか。
少女の水を含んで重くなったロングヘアーが、雫を撒き散らしながら、沈む体の後を追った・・・。
あたし、何をしているんだろう。
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お湯で温まった特殊樹脂の床は表面は暖かかったが、体を横たえてしまえば芯から冷たさが
伝わってきた。
自分の体に当たってはじけるシャワーのお湯が煩くて、細目で浴室の天井を見ている。
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何度ものけぞり、痙攣した体は、もう力が入らない。
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飛び散った己の体液を思い出し、ここが浴室でよかったとか考えてる。
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やっぱり、あたしって万年発情チワワなのかな、とか自嘲したくもなるというものだ。
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第一、こんな事をしたって寂しさなんて紛れやしないのだ。
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頭が白くなる一瞬だけ、本当にその一瞬だけ、救われる。
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そしてその後、襲ってくるのは・・・
圧倒的な寂しさ・・・
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変わらない。 なにも解決しない。 ただ快楽が欲しかっただけ。
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やっぱり、あたし、最低だ。
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寂しくて・・・
あの人の事が頭に浮かんで・・・
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優しくして欲しくて・・・
―――夢の中に逃げただけ。
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「た・・・か・・・」
駄目だ。 その名前を口にしたら。
何度も、何度も、思い知らされてきたじゃないか。
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彼の心の中に、あたしは居ない。 居ないんだ・・・。
そのまましばらく虚ろな目で横たわっていた
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今のあたしの姿を誰かが見たら、死体と勘違いしそうだ。
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無理やりに体を起こして、シャワーを止める。
水道代、バカになんないよね、なんて、今更思いついた。
ここに来る前の自分なら、そんな発想なんて無かった。 お金は湯水のように使うものだったから。
でも、湯水のようにって・・・あれ? 矛盾してるや、なんて、可笑しくも無いのに笑い出す。
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だって、そうでもしないと立ち上がれそうにもない。
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シャワーを止め、ふらつく体をなんとか支えて膝立ちになる。
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自分自身の存在の空虚さとは裏腹に、体がひどく重い。
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鏡に映った自分の顔を見て、いっそぐちゃぐちゃにしてしまいたい衝動に駆られる。
そうすれば、本当にあたしには何も無くなる。
・・・ばかばかしい。 あたしにそんな勇気なんてあるわけない。
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もう、寝よう。
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今なら眠れそうだ。
脱衣所に散らばった衣服を見て呆れた
- 。
無様な女。
こんな姿を見たら、誰ももう、『大人っぽい』なんて言わなくなるだろう。
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実際、あたしは大人っぽくなんかない。
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ただ、皆の近くに行けないから、遠くから見ているしかないから、だから色々見えるだけ。
ただ仲間に入りたくて、自分を見てほしくて、首を突っ込んでぐちゃぐちゃにした。
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何をやっても上手く出来ない。
ちぎれたボタンを付け直すことすら、あたしはできないんだ・・・。
バスタオルを体に巻きつけ、さらにもう一枚バスタオルを頭から被る。
脱ぎ散らされた衣服に混じって、台本が落ちていた。
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拾うつもりで屈んだ時。
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台本がポツポツと濡れていく。
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それはきっと、
きっと・・・
洗い髪から滴る ―――― 雫だ。
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