竹宮ゆゆこ総合スレ SS補間庫
   

 

2-C崩壊の時

春もそろそろ姿を見せ始めた三月の朝のホームルームのこと。

高校生活の二年目ももうじき終わろうかというこの時期に、ここ二年C組では、不穏な空気が漂っていた。

「あぁぁぁぁぁぁ!!」

扉を開けて目に飛び込んできたのは、これでもかと言うくらいにがしがしと頭を掻き毟る手乗りタイガーこと逢坂大河だった。

「あぁぁぁぁぁぁぁ!!」

その傍ら、大河の友人である櫛枝実乃梨もまた、大河と同様に苛立ちを含んだ声を上げながら、太陽のように赤い髪を掻き毟っている。

二人とも美しい顔立ちをしていたため、思わず目がいってしまったが、二人から目を離し周りに向けてみると、二人みたいに髪を掻き毟っている者や、声を上げているもの、蚊に刺された時のように体を思いっきり掻いているものもいた。

一見一言で言えば、わけわからん。

とある内閣総理大臣の言葉を借りるならば、『複雑怪奇』。

教室中が苛立ちと『羨望』であふれていた。

「……うお!?どうしたんだ皆!?」

いつもならのどかな朝の一時を満喫しているはずだった。

その『いつも』が見られない様子に、生徒会関係で一番遅く教室に入ってきた北村裕作が驚きの声を上げた。

しかし誰も反応しない。

「おい!春田!?」

たまたま近くにいた春田浩次に話しかけてみる。

すると僅かにだが反応があった。

「あ……、大先生…?」

春田は北村に顔を向けると、そう呟くようにいった。

その目は虚ろで、生気が感じられない。
いつも纏っている馬鹿なオーラも、微塵も感じられない。

これはそうとう重症だ、と事の深刻さをひしひしと感じながら、北村は春田に尋ねる。

「何があった!?お前もだが、みんなおかしいぞ!?」

「……おかしいのは俺たちじゃないよぉ…」

虚ろな瞳に涙を浮かばせながら、春田は答えた。

「? いや、どう見てもお前たちの様子はおかしいぞ?」

「本当なんだよぉ…。おかしいのは俺たちじゃないのぉ…」

わけが分からず北村は戸惑う。春田の言っている事がさっぱりわからないのだ。

「すまん、もう少し詳しく教えてくれ…」

なのでもう少し詳しく、と再び春田に説明を催促。

しかし春田には二度も説明する気力は残されていなかったのだろう。

「……あれを見てれば分かるよ、大先生でもさ…」

窓際の方を指で指しながら春田はそう呟くと、
「気分悪…。俺保健室行ってくる」と言い残して教室を後にした。

するとその言葉を待っていたかのように、クラス中から「俺も…」「私も、ちょっと保健室に…」「てか俺、帰るわ…」との声がぼそぼそと上がってきた。

「ちょ、ちょっと待てみんな!なんだ!?ほぼ全員が保健室に行きたいのか!?」

教室を出ようとする足の数の多さに、さすがの北村も戦慄を覚えた。

何故なら、先ほど虎の咆哮を上げていた逢坂大河までもが、顔色を悪くさせながら教室を出ようとしているのだから。

「どうしたんだ…。一体、何が…!?」

思わず起った鳥肌に体をぶるっと震わせながら、「そうだ、春田の!」

春田が指差した、窓際のことを思い出した。

「きっと、それが原因に違いない…」

みんなの様子がおかしかった原因は、そこにあるはずだ。

幽鬼のようにふらふらと教室を出て行ったクラスメイトたちの憔悴した姿を思いながら、ごくりと喉を一つならし、意を決してその方向へ目を向けた。



 そこで、北村が目にしたものは。


「――――っ!?」

目に飛び込んできた光景に、北村は言葉を失った。

大橋の町が見渡せる、見晴らしの良い窓際の後ろ側に、『それ』はあった。

今日は天気が良く、暖かな日差しが窓から差し込まれている。

北村の目に最初に入ってきたのは、その日差しに照らされ、美しく輝いた幼馴染の顔だった。

いうまでもない。川嶋亜美その人である。

モデルという職業に就いてるだけあって、くっきりとしたボディーラインが制服越しからでも見て取れた。

幼馴染である北村も、息を飲んでしまうほど。

しかし北村が言葉を失ったのは、そんな亜美の美しさに見とれていたからではない。
 ・・・・・

亜美の状態に、唖然としてしまったからだ。


亜美は自分の席――最後尾の窓際。つまり春田が指差した場所――に座っていた。

とても機嫌が良いらしく、鼻歌を口ずさんでいる。

それはいい。何故ならもう少しで、朝のホームルームが始まるから。

機嫌も、悪いより良いほうが良いに決まっている。

問題は、腰掛けている『者』だった。

「………亜美?」

恐る恐る、北村は幼馴染に話しかける。

しかし、言葉は返ってこない。

「……亜美!」

しかし、北村はめげない。

再度、声を荒げて名前を呼ぶと、ようやく亜美の顔が北村に向けられた。

「………?あれ、裕作じゃん、おはよー♪」

そしてニッコリ、と。その仕草に北村は思わず身震いした。

あまりにも『素』な笑顔を向けられたから。

もしかしたら初めてじゃないだろうか。

しかし、本来ならば喜ぶべきその出来事も、今の現状では素直に喜べない。

理由は目の前にある。そして彼は、今からその理由を確かめるのだから。

「……な、何をしてるんだ?お前『達』は」

声が震えた。なるほど、これはクラスがあんな状態になるわけだ。

「んー?やだ、見て分からないの?座ってるのよ」

「何に?」

北村の再度の問いかけに、亜美は相も変わらない笑顔で答えた。

「高須君の、お・ヒ・ザ(はぁと」

「何でだ!?」

そう、亜美は確かに席についていた。

       ・・・・・・・

だがなにも、自分の席の椅子に座っているとは限らなかったのだ。

いや、普通は限るのだが、今の彼女の状態は、その限らない部類に属していた。

亜美の小ぶりなお尻が乗せられていたのは、無機質な木の板の上ではなく、温もりのある男子生徒の太腿だったのだ!

「だってぇ、亜美ちゃんはぁ、竜児の傍にいたいんだもーん」

「高須も!お前ともあろう者が、何をしてるんだ!?」

北村に言及され、亜美に膝を貸している恐ろしく目つきの悪いその男子生徒は、照れくさそうに答えた。

「お、おう…!その、お、俺も亜美と離れたくなかったし、HRになったら自分の席に戻るつもりだったから、今くらいはいいかな、と…」


高須竜児。生まれつきである三白眼故にヤンキーと誤解されている彼は、中身はとっても優等生であった。成績優秀、学校行事にも一生懸命取り組み、何よりも彼一人の手によって2年C組の清掃評価が常にA判定であることは、もはや伝説となってきている。

そんな外見と中身が全く違う彼は、川嶋亜美の彼氏であった。

彼らが付き合い始めたのはつい最近だ。

バレンタインデーを過ぎた辺りから、なにやら二人の間の空気が変わり、間もなく二人は付き合い始めたのだ。

これには学年、いや学校中が驚いた。

ヤンキー(誤解)と名高い高須と、学校のアイドルである川嶋亜美が付き合い始めたのだから。

亜美に憧れを抱いていたものはもちろん、容姿に自信があったにも拘らず、亜美にあしらわれたイケメンたちは、ショックの海に沈んだ。ざまぁ。

川嶋亜美が何故高須竜児を選んだのか、それは亜美自身にしか分からない謎だが、とにかく二人は恋人同士だった。

(そんな事はどうでもいい)

誰にしているかも分からないこれまでの経緯を頭から振り払って、北村は二人を見た。
相変わらず亜美は幸せそうに竜児に身体を預けているし、HRには自分の席に着くといった竜児は、離れるそぶりも見せずに、恐ろしい三白眼を細めながら亜美の頭を優しく撫でている。

「ねぇ竜児…?」

「ん?どうした、亜美?」

そんな二人は、もう眼前の北村が見えていないのか、その場に二人しかいないかのように互い見つめあいながら言葉を交わし始めた。

「あのね、お願いがあるんだけど」

「おう、なんだ?欲しいモンがあるなら、あんま高くない物ならかってやるぞ」

「本当!?じゃぁ、あの…、竜児が良ければタダなんだけど…」

「何!?タダならいくらでも買ってやるぞ!」

それはもはや買うことにならないんじゃないか、というツッコミはなしにして。

竜児の言葉に、亜美の顔がぱぁっと輝いた。

「じゃあ、本当にいいの!?」

「おう!言ってみろよ」

「うん!私……、――――が欲しいな」

「え?」

「だから、その…。りゅ、竜児のキスが欲しいな、って…」

北村の思考が硬直した。
は?おい、今目の前の幼馴染はなんといった?


キス?あの、猫かぶりの我侭の自分が一番主義のお姫様思考の川嶋亜美が?

「えっ…そ、それは、その…」

「ダメなの?昨日の夜は………あんなに激しかったのに…」

ハツカネズミのように思考がぐるぐる回っている北村には幸い、亜美の呟きは聞こえなかった。

しかし竜児は顔が真っ赤だ。

「お、おい…!き、昨日はお前がもっとって…」

「えー!竜児、亜美ちゃんのせいにするの?昨日は絶対、竜児がケダモノだったんだから!

次々と交わされる爆弾発言の渦中にも拘らず、北村の思考は復活の兆しが見えない。

「もういい!竜児は亜美ちゃんの事が嫌いなんだ!」

「ちょ、ちょっと待て!?どうしてそうなる!?」

「だって…!言い訳ばっかり言って、竜児は亜美ちゃんとキスしたくないんでしょ!?」

「そんなわけあるかっ!好きな娘とキスしたくない男はいないんだよ!」

「ウソ!だったらどうして!?」

「俺だってお前とキスしたいよ!どうどうと!!何回でも!!」

 竜児が自棄気味に言い放った言葉に、大きな瞳を涙で滲ませていた亜美の動きが止まる。

「……本当?」

「あぁ、そうだよ!俺が躊躇したのは、その…」

「? その、何?」

 なみだ眼で首を傾げる彼女は、なんて可愛いんだコンチクショウ。

 竜児は後ろから亜美を抱きしめ、言葉を続けた。

「その…キスしちまうと、止まらなくなっちまうから…」

「――――。」

恥ずかしかったのだろう、呟かれるように発せられた言葉に、不安げなだった亜美の表情が喜びに変わる。

作られたものではなく、その笑顔は亜美の『素』。心からの笑顔。

「そんなの……」

「え?」

「別に、我慢しなくていいんだよ」

 その笑顔のまま、亜美は竜児に向き直し、竜児に思い切り抱きついた。

 そうすることで、亜美の顔は竜児の胸に埋まる。

「だって私も…、その、竜児がそうなるの、嫌いじゃないし……」

「亜美……」

制服越しに感じる彼女の吐息に胸を躍らせながら、竜児は愛しい彼女の名を呟く。

「お前は……。お前は、いいのか…?」

「…うん。だって亜美ちゃん、竜児の事が大好きだから」

――そう、呟かれた瞬間、竜児は亜美の唇に、己の唇を重ねた。

柔らかく甘い感覚が、竜児の思考を鈍らせる。

「ん…。んぅ…」

「んはっ…、はぁ…っ、ん…」

亜美は竜児を抱きしめる腕に力を入れ、もっと、もっと、と竜児の唇を求める。

それに答えるように、竜児もまた亜美を強く抱きしめ返し、唇を重ねる。

まるで貪るかのように、幾度も唇を重ねては、離す。

「ね……竜児…私、もう…っ」


荒い息をつきながら、亜美が切なげな声を出した。

竜児は一つ頷くと、そのまま亜美を押し倒し、


「…あぁ、わかった。正直、俺も限界だ…!!」


ここが教室であることも忘れて、二人は―――!




クラスは呆然自失、頼りの北村も目が虚ろで、あてにならない。

もはや学級崩壊となってしまった2‐C組に響くのは、境目を失くした恋人たちの、嬌声のみであった。




BadEnd(?)