





|
ローマの平日4
-
- 最近、俺の休みが不定休となった。
どうも、俺の亜美に対する態度はイタリア人男性的には許し難いらしい。
日本から片道13時間もかけてローマまで来るのに、一人で待たせておくなど、ありえない話だというのだ。
というわけで、俺の休みは『亜美がローマに滞在している間』となったわけだ。 親方、なんて親切なんだ! って話かといえば、そうとも言い切れない。
何故なら、亜美がローマに滞在するのは、一ヶ月でせいぜい5、6日なのだ。 イタリアというと休みが多いイメージだが、実はそうでもない。
ここ観光都市ローマでは、飲食店の多くが年中無休に近くなってきた。
トラステベレ地区も例外ではなく、俺の働くこの店も、去年から日曜も営業するようになった。
それでも、今までは一ヶ月で平均8日位は休みが貰えていたが、今後は寧ろ休みが減ることになる。
つい、親方にぼやいたら、『亜美はどれくらい休んでいる?』 ……ごもっとも。
あいつは全ての自分の時間を、俺に会うためにつぎ込んでいる。 それこそ、一分一秒も惜しむように。
もう、選択の余地はなく、俺は素直に親方の申し出を、感謝と共に受け入れたのだった。
ローマの平日 quattro
しかし、今回の亜美の休暇は長い。
日本で公開された、亜美のハリウッドデビュー作は、主演のイケメンの人気もさることながら、例の絶叫告白のお陰で話題性も十分、爆発的ヒットとなった。
亜美自身の人気も、恋人がいることが露見したにも関わらず鰻上りで、いまや国内若手女優で一二を争うほどだ。
お陰で、ドラマの出演やら、TVのゲスト出演やら、オファーが山のように押し寄せて、下手すりゃ向こう三ヶ月は休み無しの状態になりかけていたそうだ。
ところが、そこで現れたのは亜美のお袋さん。 怒号一閃、全てのオファーを蹴り飛ばして、亜美に二週間の休暇をプレゼント。 ………すげぇお袋さんだ。
いつか対峙しなくちゃいけねぇと思うと、背筋が凍るぜ。
「ママが言うには、今は休む時なんだってさ。 あたしとしては竜児とゆっくりできるチャンスだもん。 二つ返事よ。」
そういうわけで、今回の亜美の滞在は11日に及ぶ。
これには流石の親方も渋い顔をすると思ったら、滅多に笑わない親方が、人懐っこい笑顔を浮かべて言う。
『愛は最高の調味料だ。』
そして、俺にボーナスまでくれた。
「親方はな、どうやら俺の料理の師匠ってだけにはとどまらねぇ人みたいだ。」
「そうなんだ…。 よかったじゃない。 あたし、竜児の分のお金、出すつもりないしぃ〜。」
「あのなぁ、俺は金とかそういう事で、親方に感謝してるんじゃねーんだ。」
「分かってるって。 竜児にとって、親父さんみたいな人なんだよね? いいじゃん、素直に喜んでおきなよ。」
「お、おぅ。 そうだな…。 別に、へんな意地張る必要はねえよな。」
「そうだよ。 そしてさ、最高の料理作って、恩返しすればいいんだって。」
「ははは。 確かに、お前の言う通りかもな。 ……やっぱり、お前は最高のパートナーだよ…。」
亜美は顔を真っ赤にして、照れ隠しにまくし立てる。
「な、なに言ってんの、そ、そんなのあったりまえじゃない。 そんなことより、今日はどうするの? まさかこのままアパートにこもってるなんて言わないでよね。 それとも、昨日みたいにお花見でもする? あ、でもエウルじゃ無いところが良いな。 それとも…」
-
「今日は多分、雨になるぞ。」
「え? うそ… こんなに天気いいじゃん…」
「春のローマは狂った天気って言ってな、やたら天気が変わりやすい。 おそらく昼前には小雨が降り出すぞ。」
「ほんとなの? それ。」
「ああ。 だから、今日は旧市街で教会見物としゃれ込もう。」
-
「旧市街の教会かぁ。 それってさぁ、観光客でいっぱいなんじゃね? 亜美ちゃん、そういうの嫌かも。」
「実は是非お前に見せて、感想を聞きたいと思っていた所がある。 それに、あそこなら観光客も少ない筈だ。」
「どこ?」
「サン・カルロ・アッレ・クアットロ・フォンターネ教会だ。」
「今回も移動は地下鉄を使う。 昨日と同じピラミデ駅でB線に乗ってテルミニ駅に向かう。 テルミニ駅はA線との乗り換えポイントだ。 そこでA線に乗り換え、そして次のレプブリーカ駅で降りる。」
「了解であります、高須隊長。」
おどけて敬礼する亜美。 どんなポーズでも様になってしまうのだから、こいつは本当に反則な奴だ。
-
「傘は持ったか、川嶋隊員。」 「抜かりありません!」 「よし、では出発。」
-
「フンフンフンフン」
鼻歌まじりに、少し大げさに手を振って付いて来る亜美を見て、可愛いと思わない奴なんか絶対にいないと保障できる。
色気ムンムンで迫ってくる時よりも、こうして自然にはしゃいでる時の方が何百倍もそそるってのは、絶対に教えないようにしないといけないな、と思いながら駅に向かった俺だった。
レプブリーカ広場で地下鉄を降りると、そのままナツィオナーレ通りを歩く。
-
「あ、この靴可愛いー。」
亜美はいちいち店頭で引っ掛る。
「あ、教会。 もしかして、ここ?」
「いや、もう少し先だ。」
「ふーん。」
「あ、竜児、水着だ。 まだ春なのに、もう売ってるんだね。 うわ、布地ちっちゃー。 ねぇ〜竜児〜 亜美ちゃん、今度ああいう水着着てみようかなぁ〜。 もちろん竜児の前だけでね。」
-
「ショッピングは後にしようぜ、昼になると教会もシエスタでしまっちまうからな。」
「………本当に着てやろうかしら…。」
「ん? なにか言ったか?」
「なんでもね。」
「おう?」
「おっと、ここだ。 ここがクアットロ・フォンターネ、四つの泉通りだ。」
-
「なんで4つの泉? ってか、お店無くなった…。 なーんか、すっごい裏通りっぽいんですけどぉ〜?」
「名前の理由は着けば分かる。 ………もうすぐだ。」
「はーい…。 フンフンフン。」
珍しく素直だな。 しかも機嫌がやたらいい。
「あ、本当に曇ってきた…。」
亜美がふと空を見上げて呟いた。
「おぅ。 やっぱり雨になりそうだな…。」
「当たらなくていいのにぃ。」
「はははははは。 まぁ、雨のローマも風情があっていいぞ。 っと、ほら、そこだ。」
「あ、4つ角に… 泉があるんだ! うわ、なんか、そのまんまじゃん。」
「そうだ。この4つの泉はそれぞれ、テベレ川、アルノ川、ダイアナ、ユノを表している。 そして、俺達が来た方向から、左手前の角が…今日の目的地、サン・カルロ・アッレ・クアットロ・フォンターネ教会だ。」
-
「へぇ〜。 なんか… ちっさくね?」
-
「小さいな。」
「あ、でもファサードが波打ってて可愛いかも。 これって、曲線を外側に向けて広がりを見せようとしてるの?」
「……流石だな。 もう覚えちまったのか。 その通りだ。 同時に奥行きも広げて小さな空間を大きく見せようと工夫して
いるんだ。 …聞き流してるようで、俺の薀蓄、結構ちゃんと聞いててくれたんだな。」
「まぁ、一応ね。 つまんないけど。」
「ぐっ…。 そ、そうか。」
「ふふふ。 うそ、ちゃんと興味津々で聞いてるって。」 「…それも明らかに嘘だな。」
-
「ん〜、どうだろね。 ね、早く入ろうよ? 中、入れるんでしょ?」
「おう。 そうだな。 いいか、この教会に驚くのはこれからだ。」
扉をくぐり、聖堂内部に侵入する。 驚きと共に息を呑む亜美。
「今、話題になっている映画で、謎解きに使われている彫刻があるだろう。 あれの作者がジャン・ロレンツォ・ベルニーニで、彼は同時に建築家でもあった。 だから、最近はベルニーニの設計した教会や彼の彫刻をめぐるツアーが流行っている。
そして、そのベルニーニのライバルだったのが、フランチェスコ・ボッロミーニ、この教会を設計した人物だ。 ボッロミーニは…
「竜児…、……うるさい……」 「お、おぅ。 すまねぇ…。」
-
なんだか、亜美は凄く感動しているようだ。 吸い込まれるようにクーポラを見上げている。
教会にあるドーム天井。 それが、クーポラ。 真っ白なクーポラはローマでもおそらく此処しかない。
大抵はモザイクか、天井画が施されている。
しかし、この聖堂は違う。 幾何学模様で緻密に計算された楕円形のドーム、明り取りの窓の光の当たり具合、中央の鳩、その全てが素晴らしく、シンプルで美しいのだ。
-
「竜児、連れてきてくれて有難う。 すごいね、ここ。 白だけなのに、こんなに綺麗だなんて…。 ううん、光が、白を様々な
色に変えていくんだ…。 こんなに狭いのに、曲線と幾何学模様が遠近感を奪って、世界を広げてく。 本当に、凄いよ。」
ここを見上げただけで、それが分かるお前も十分凄いんだがな。 やっぱり、こいつ、美的センスがいいんだ。
人気モデルだったってのも、この力があったからこそなのかも知れない。
結局、亜美はキオストロ(中庭)、クリプタ(埋葬所)も、殆ど無言で周った。 だが、それは感動ゆえ。
そして、俺にはそれがたまらなく嬉しい。
教会から出ると、小雨が降り出していた。
-
「よし、近くにはバルベリーニ宮殿もあるが、一度に周ると感動が薄れるからな、日を改めよう。」
「うん。 今日はもう、おなかいっぱいって感じだよ。」
「どうだった?」 「最高。 あたし、あの教会気に入っちゃった。」
「おぅ。 嬉しいぜ。 自分の趣味を他人に押し付けるってのは嫌だが、一方で理解してもらえたら、ってのも確かにある。
お前が、あの教会を見てどう感じるか、実はずっと気になってた。 ……俺も大好きなんだよ、あの教会。」
「…そうだったんだ。 それって、あたしにとっても凄く嬉しい事。 竜児の好きなもの、あたしもっと知りたい。 共有したい。」
そう言うと、亜美は自分の傘を閉じて、俺の傘に潜り込む。
雨で湿度が高くなった空気に、亜美の匂いが溶け込んだ。 そして、甘えるような視線と声で…
「あたし、もっと、もっと……竜児の色に染まりたい……。」
-
「う、ぐ。」
本当に性質が悪い。 こいつは自分の容姿や声が男にどんな効果を上げるか知り尽くして、こういう罠を仕掛けてくる。
自分が赤面してるのは、想像するまでもない。
が、ふと疑問が湧いた。
そして、恥ずかしくて、顔を向けられないまま問いかけた。
「なぁ…」 「うん?」 亜美はしてやったりで、その声は上機嫌だ。
「俺は5年前から、お前一色なんだが、そういう場合、俺の色ってどうなるんだろうな?」
「ぅっ……。」
「ん? どうし… いってぇーーーーっ! な、なんでつねるんだよ! ってか、お前、なに怒ってるんだ?」
「べっ、別に怒ってない!」
「嘘付け、顔真っ赤にして…」
「うっ…うっさい、この朴念仁!」
なんだよ、やっぱり怒ってるじゃねーか……
そのくせ腕に、きゅっ、と抱きついてきやがる。 まったく…相変わらず、分かりづれぇ奴…。
俺は、相合傘の先、すでに数条の光がもれ始めた曇り空を見上げ、溜息一つ。
それは……最高に幸せな、そんなローマの点描。
おわり。
-
|
|