竹宮ゆゆこ総合スレ SS補間庫
     

 

ある劇団員の告白

練習帰りのコンビニで、ファッション雑誌を手に取る事がある。

雑誌に載っているようなブランド物は買えないけど、貧乏な私だってオシャレはしてみたい。

いつも見ているティ−ンズ向けのファッション雑誌。

その子が表紙の時には、ついつい買い物籠にぶち込んだものだ。

輝くような笑顔。

彼女が着ているのと同じ服を着たら、自分もそんな風に輝けるような錯覚に陥る。

まんまとメーカーの罠に嵌められてるな、と思いながらも、どこに行ったら買えるのか

しっかりチェックしてしまうのが乙女心。

私もこんなに可愛かったら、すぐに役が貰えるんだろうな、なんて、ひがみっぽい事を

考えながら、ボロアパートに帰ったものだ。

しかし、どういう運命の悪戯か、ある日突然、その美の化身みたいな少女が私達の劇団に現れた。

その子の母親は、私達役者の卵にとっては憧れの一人だった。

母親の後を継いで、女優を目指すのだろうか。

男の子たちはみな舞い上がって、まるでお姫様を扱うみたいに、もてはやす。

最初の日は挨拶と軽い発声練習。

その子は雑誌で見るよりずっと綺麗で、可愛くて、声まで素敵だった。

そして、想像していたのと違って、謙虚で、一生懸命だった。

けれど、発声は全然駄目。

ごく簡単な台詞もまるで様にならない。

ちょっとほっとした。

いくら大女優の娘でも、いきなり何でもできちゃうなんて無いんだ、って事が、正直嬉しかった。

なんで、こんなに嬉しいんだろうってくらいに。

・・・・・・その時に気がついていたらよかったのに・・・・・・。

何度目かにその子がやってきた時、年嵩の団員が話しているのを、私は聞いてしまった。

次の舞台で、その子が役を貰う、という事を。

ショックだった。

『こんなに可愛かったら、すぐに役がもらえるんだろうな』 そう自分でも考えてたのに。

現実になったら、憎しみしか湧いてこない。

芝居がやりたくて、親に反対されながら、一人東京に出てきた。

バイトと夜学と芝居。

それだけの毎日を重ねて必死になって練習してきた。

それがたったの2〜3日、2〜3日練習に参加しただけの女が。

ただ、綺麗だってだけで、ただ、有名な女優の娘だってだけで。

全てを飛び越えて行ってしまった。

―――許せなかった。


同じ思いの子は多かったのだろう。

休憩室にある自販機に向かう途中に出会った子と、すぐにその話になった。

正直に思った事を口に出す。

間違いなく、彼女はここに居る誰よりも演技が下手なのだ。

だから、どんな悪口でも嘘にはならなかった。

だが。

調子に乗った矛先は、彼女の美しさにまで向かう。 それは最早、ただの嫉妬でしかない。

そうだ。 本当は、最初から彼女の美しさに、嫉妬していたのだ。

けれど、そうすることで無意識に劣等感を拭おうとしていた私達には、たぶんもう止められなかった のだろうと、今ならわかる。

ガタン

と音がした。 いくつか並んだ自販機の方から。

そこはちょうど死角だった。

けれど、それ以前に。

絶世の美少女が、こんな薄暗い休憩室の、自販機の間に挟まっているなんて、誰が想像できる?

プロのモデルなんだから、表情を作るのなんかお手の物の筈。

でも、失敗している。

愛想笑いになんかとても見えない歪んだ表情。

手にした台本がバサバサと揺れている。

まるで凍えたように、体が震えているのに・・・

驚いたことに、彼女自身が全然気がついていない。

何事かを話そうとしたようだが、言葉にはならなかった。

ただ、ぎこちなく会釈をして、休憩室から消えていった。

そして。

その、ひび割れた後ろ姿が、私が生で彼女を見た最後になった。



あの日、一緒になって悪口を言っていた子とは気まずくなって、滅多に話をしなくなった。

だから、今一緒に休憩室でだべっている子達は、あの日の此処での事は知らない。

「ぇー 亜美ちゃん、モデル辞めちゃうの〜 ねー、これ、長期休止、復帰未定だってさ。」

「急に劇団に来なくなっちゃったのって、こういう事だったのかなー」

「え、もう来ないの? うっそ、私友達に自慢しちゃったよ。 亜美ちゃんに演技教えてるんだって。」

「あんた、それ亜美ちゃん来てても嘘じゃね?」

だから、こんな会話が出来るのだ。

人生でたどる道があり、それが誰かの道を横切る度に、その誰かを傷つけていく。

そして、その誰かよりも自分自身が傷付いていく。

こんな陳腐な歌なんか共感できなかった。

でも、今なら解る。

きっと彼女は何年か経ったら、私の顔を見ても何も思い出さないだろう。

でも、私はダメだ。 あんな風に人間がひび割れてしまうなんて知らなかった。

忘れたいのに、気が滅入ると、あの時の彼女の様子がはっきりと浮かんで、私を責める。

謝る事も出来ない。 たぶん、もう会わないから。

だから、私はずっと彼女の歪んだ顔を、忘れられない。 ―――忘れない。


ボロアパートに帰る途中、いつものようにコンビニに寄った。

雑誌がおいてあるコーナーに、彼女の顔が並んでいる。 

多分、彼女が表紙を飾るのはこれが最後。

目を逸らした。


私がそのファッション雑誌を手に取ることは、もう無い。