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ローマの平日2
- 亜美が出演した映画が、ここローマでも上映された。
普段はこういうタイプの映画は見ない俺だが、なるほど、全米No1という陳腐な宣伝文句も、この映画なら納得がいく。
最後の最後、主人公とヒロインが結ばれる瞬間のカタルシスは多くの男女を虜にするだろう。
亜美の役どころは、見た目は美しいけれど、主人公に横恋慕して、ヒロインを苦しめるいわゆる『性格ブス』ってやつだ。
とにかく全編通して嫌な奴なんだけど、ちょっと詰めが甘い。
登場人物側から見ると、完璧に嫌な奴だが、観客から見れば、あれ?こいつ実はいい奴なのか? と思わせる演出が
ちりばめられて、そして、最後の最後、主人公とヒロインが決別しそうになったその時、一発逆転の罠を仕掛けて、二人
を後押しするっていう、ある意味お約束。 しかし、映画の中の登場人物達には本心を見せずに、嫌われ者のまま独り去っていくという報われない女の子。
なんというか。 あまりに似合いすぎてて言葉がでねぇ…。
前にあいつは『ちょっと似てる』なんて言ってたが、こういうのは世間一般じゃ『ハマリ役』って言うんだぜ、亜美。
もっとも、世間一般じゃ、あいつの素顔なんて知らないだろうから解らんだろうが。
あいつと一緒に見にいかないで大正解だ。 おもわず、涙ぐんじまったぜ。 まぁ、いい映画だったが、実はただ一つだけ大いに不満がある。
それはここイタリアでは外国映画は全てイタリア語に吹き替えされちまう。 つまり、亜美の声じゃない。
亜美の肉声だったら、さぞかし破壊力満点だったろう。
二週間後の日本公開時の反響が、楽しみでもあり、怖くもあり。 またあいつの人気が上がっちまいそうで、少しだけ面白くない。 でもまぁ、そんなのはファンから見たらとんでもねー話だよな…。
19時07分。 定刻より若干送れてボーイング777が降りてきた。
フィウミチーノ空港まで迎えに出たのは、恥ずかしい事にこれが始めてだった。
そんな些細な事が亜美には嬉しいらしい。
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「竜児!」
俺を見つけると抱きついてきた。
本当に、ファンから見たらとんでもねー話だ。 なんせ俺は、休みの度にこうして亜美を独り占めしてるんだからよ…。
ローマの平日 due
その日の夜は、激しかった。
どっちがって聞かれれば、両方。
思えば、最近は必ずどちらか一方がヘトヘトに疲れていたりして、夜のお努めから遠ざかっていた。
亜美は、明日の午前中にオフィシャルの取材が入っていて、珍しくホテルにお泊りだ。
今回はホテル・ハスラーのサンピエトロと名付けられたスイートを確保していた亜美は、『たまにはいいでしょ』と言って俺を連れ込んだ。
そこは…正しく楽園だった。
落ち着いた間接照明に照らされた、年代ものの見事な家具の数々。
そして、そのどれもがピッカピカに磨かれている。 興奮して家具を撫で回す俺に、亜美のケンカキックが振舞われた
のは言うまでもない。
だが、その後、薄着になった亜美の体を見て、健全な男性として当然の欲求が俺を支配した。
たぶん、付き合い始めてから、初めてのことだった。 俺の方からしようと誘ったのは。
よほど興奮したのか、亜美のやつはいつにも増して敏感で、たちまちのぼりつめてしまう。 その様子があまりにもエロティックで、俺達二人はどんどんエスカレートして… 気が付いたら、すでに夜明け間近。
まったく、俺ってやつは…。 またしても亜美を寝不足のまま翌日の仕事に行かせる羽目になっちまった。
だが、亜美はそんな事は少しも不満に思ってないようだ。
別れ際、期待に目を輝かせて聞いてくる。
「ねぇ、午後からは亜美ちゃんのこと、どこに連れて行ってくれるの?」
やっぱり、今日も近場にしよう。 はしゃいじゃいるが、亜美は疲れている筈なんだ。 って俺が言えた義理じゃねーが…
「そうだなぁ…。 あそこにいってみるか…。」
「どこ?」
「パオラの泉とジャニコロの丘だ。」
亜美の仕事が終わるとちょうど昼時だった。
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「じゃにころ? なーんか変な名前〜。」「ちょっと耳を澄ませてろ」「え? …う、うん。」
微かな大砲の音。
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「あ。 12時の大砲?」「そうだ。 あの大砲を撃ってる場所がジャニコロの丘だ。」
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「竜児ん家ではかなり大きな音だよね。」「ああ。 ジャニコロの丘は俺のアパートの近くだからな。」
「へぇ。 じゃ、ゆっくり歩いていこうよ。」 俺がホテルでタクシーを手配したのが不満らしい。
「いや、その前によるところがあるから、少し急ぐぞ。」
実は是非、亜美に見せてやりたいイベントがある。
目的地はサンタ・マリア・イン・トラステベレ教会。
俺達はタクシーを降りて、教会に向かう。
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「あれ? この教会は何回か来たよね?」
「おう。 だがな、今日は特別なんだ。」
入り口で目配せする。 普通はこのタイミングでは入れないのだが、顔見知りの俺は特別扱いだ。
教会の中は着飾った人々が集まっている。
そして、俺の後について入ってきた亜美が息をのんだのがわかった。
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「竜児、これって…… 結婚式!?」
「おぅ。 今日は、給仕のおばちゃんの従姉妹の娘さんの結婚式なんだ。 なんとかぎりぎり間に合った。」
やがて、司祭が教会の入り口へ進み、新郎新婦を伴って祭壇へと向かった。
参列者の最後尾で俺達も見守る。 聖歌、福音、朗々と流れる司祭の言葉。
そして、愛し合う二人の誓いと指輪の交換。
そして祝福する皆が聖歌を歌い、結婚が成ったことを司祭が高らかに告げる。
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「すっげぇ… すっげぇ… なんか、超綺麗だよ。 凄いよ…。」
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教会から出て、ライスシャワーを浴びる二人を潤んだ目で見つめながら、何度も亜美は呟いた。
ローマで最も古い教会で行われた、本物のカトリックの結婚式は、どうやら、かなり気に入ってもらえたようだ。
しばらく、とろんと溶けていた亜美だったが、復活するや、否や
「ねぇ〜、亜美ちゃんに、こーんな素敵な結婚式見せて、竜児は何考えてるのかなぁ〜。 あたし、期待しちゃうよ?
なんでかなぁ〜。 いいのかなぁ〜。」
すこしだけ、頬を紅潮させて、悪戯っぽい微笑みで俺の周りをちょこちょこと回りだす。
そんなに深い意味はなかったんだが、拙かったか、これは? うーむ。 ここは誤魔化そう。
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「そ、そうだ、まだ飯食ってなかったよな。 亜美も腹減っただろ?」
「くすくすくすっ」 怒るかと思ったが、大丈夫だったようだ。 少しほっとする。
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「解ってるよ。 どうせ竜児の事だもん、あたしに『本物の教会でやるカトリックの結婚式』を見せたかった、とかそういう
理由でしょ? 教会もドレスも凄く綺麗だし。 そうそう見れるもんじゃないしね。」
「おぅ…、まぁ、そんな所だな…。」 大正解だ…。
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「あははは。 あんたって、やっぱ馬鹿…。」
「悪かったな…」
「ふふふ ……ねぇ、なにか美味しいのあるの〜? 竜児のお勧め。」
「お、おぅ。 そうだな… ピザサンドなんてどうだ? 野菜やハム、キノコなんかをピザで挟んだやつだ。」
「へぇ! 美味しそうじゃん、それ。 カロリーメチャクチャ高そうだけど。」
「確かに、カロリーは無茶苦茶高いな… 別なのにするか?」
「ううん。 いいよ、亜美ちゃん、おなかペコペコだしぃ…」
「よし、じゃぁ、そいつを買って、パオラの泉で食うとするか。」
教会の脇の道を上っていくと水飲み場に突き当たり、そこからさらに坂道をずんずん上っていくと、白亜の大理石でできた
パオラの泉に辿り着く。
「わぁー、おっきぃ…… なんかさ、泉がメインなのか、モニュメントがメインなのか、わかんないよね。」
「おう。 どっちかってぇと、モニュメントだろうな。 それに泉が付随してると言った方がいいだろう。」
「あー、でも水綺麗。」 「景色も綺麗だぞ。 こっち見てみろ。」 「え? おおーー! すっげぇ。 市街一望じゃん。」
「そこのベンチで食事にしよう。」 「うん。」 「ちょっと待て!」 「え?」
持参した予備のハンカチを石のベンチに敷く。 「よし、これでいい。」
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「……ありがと。」
二人で並んで、ローマの街を眺めながらピザサンドを食う。
暦はまだ冬だが、ローマの街のあちこちには様々な花が咲き始め、春が近いことを感じさせる。
「これ、マジ美味しいんですけど… 食べすぎちゃいそう…。」
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「そんな事言ってねぇで、MOTTAINAIから、全部食えよ。」
「うん。 そうだね。 今夜も竜児が亜美ちゃんの脂肪、燃焼させてくれるんでしょ?」
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「お前なぁ……。 なんで、すぐそういう話にもっていくんだよ…。」
亜美は楽しそうに、俺をからかう。 何をするわけでもない。 ただ二人でいれば、いつだって楽しい時間を作れる。
こんな関係になれるなんて、高校で別れた時には夢にも思ってなかった。
「随分、長居しちまったな。 寒くねぇか? そろそろ日も傾いてくる。」
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「ううん。 大丈夫。」
「そうか。 じゃぁ、いよいよジャニコロの丘だ。」
「遠いの?」 「いや、目の前。」 「へ?」 「この坂上った所がそうだ。」
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プラタナスの並木と松に覆われた斜面の間の石畳を登っていくと、程なく広い空間に出る。
そこがジャニコロの丘だ。 ローマ市街を一望でき、夜景が有名だが、実は夕景の美しさこそ格別だ。
「竜児…… 時間調整してたのね?」
「……流石だよな、お前も。 やっぱセンスがいいんだろうなぁ、一発でばれちまう。」
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「でも、すごく…綺麗。」
うっとりとローマの街を眺める横顔は、憂いを秘めて、どこか儚げに見えてしまう。
「…ねぇ、竜児。 今日のお嫁さんも、すっごい綺麗だったよね。」
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「だな。」
「亜美ちゃんと、どっちが綺麗だった?」
意地悪な表情でこんな事を言い出すこいつは相変わらず何考えてるのか…。
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「同じ条件だったら、やっぱり、お前の方が綺麗だと…思う。」
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「それって、遠まわしにあたしの負けって言ってる? ふふふふ。 竜児ってさぁ、正直者だよねぇ。」
「…顔の作りとか、そういうんじゃねーところで、今日の花嫁は凄く綺麗だったと思う……。」
「あたしも、そう思うよ。」
「あたしもさ、あんな風に綺麗になりたいよ…。 いつか、必ず。 それまで、竜児に愛想つかされないよう頑張る…。」
急に真剣な表情で呟くように言う亜美。
こいつは時々こんな事がある。 そう、高校の時から。
今は、それがどんな時なのか解ったつもりだ。
だから、俺は何も言わない。
こいつの傷も、こいつの不安も、こいつの後悔も… 全部折り込み済みで愛したのだから。
ただ、全ての想いを込めて、その華奢な体を抱きしめる。
返す微笑みは温かく、そしてその夕日に色づいた唇は…
俺の唇と重なり合い、互いの信頼を交し合うのだろう。
それは……最高に幸せな、そんなローマの点描。
おわり。
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