Carnation,Lily,Lily,Rose 2
- 一人の少女が、インターホンの音に目を覚ます。
ぼさぼさの髪も、ねぼけ眼も、着崩れたパジャマも、まるで飾り気が無い。
一目でノーメイクとわかる濃淡のない白い顔は、しかし、美しい。 少女はふらふらと玄関に向かい、ぼーっとした表情で、扉を開ける。
そこに立っているのは、恐らく彼氏。 少女は、一瞬驚いた顔をするが、すぐに微笑んで…
『すっぴんでも、キニナラナイ』 とテロップとナレーションが入り、 商品名が表示される。
4月からオンエアされている、とある化粧水のCMだ。 このCMのお陰で、その化粧水は品薄が続いている。 バカ売れなのだ。
あたしは、メーカーから山ほどその商品を貰った。 こんなに、いらねっつの。 こんなんで、騙したつもりなんて、どんだけ不自由な頭なんだか。
メーカーとしては少しでも安上がりにしようと思って、あたしを起用したんだ。 ぶっちゃけ、あたしの『値段』は安い。
ところが大当たりしちゃって、後ろめたくなったのか、現物供与で誤魔化してきた訳だ。 でも、件のサークルに所属する女子学生には好評なんだな、これが。
あたしにとっては、在庫処分に大助かりって訳。
今日もサークルの部室等が集まるホールにある喫茶室の一角を占める、我らがサークルメンバーに、化粧水を届けていたところ。
…って言ってもついでなんだけど。
なんだかんだ言って、あたしとタイガーはしょっちゅうその一角に立ち寄るようになっていた。
学内には残念ながら、あたしが落ち着いて挟まれるような自販機の隙間がなかったってのもある。
今やここは、あたしとタイガーの待ち合わせ場所でもあるんだ。
「いやはや、川嶋嬢、すまんね。 ついうっかり友人に話してしまってね。」
-
老紳士のような喋り方をする長身の女性はこのサークルの副会長で、3年生だったが、一浪一留一休学で、
あたしたちより5歳も年上だ。
-
「ふむ、君にしては迂闊。 お詫びにこの俺が姫に清涼飲料水を献上しよう。」
-
そして、M男先輩の彼女でもあるらしい。
で、M男先輩の申し出を断ると色々とウザイことも学習した。
「えっと、じゃ、アイスティーで…。」
「Yes, Her Royal Highness」
やたら流暢なクイーンズでそう言うと、胸の前に手をかざしながら
礼をして買いに行く。 変態じゃなきゃ、かなりのイケメンなのに…。
複雑な表情を作るあたしに、副会長は素敵な笑顔でいつもこう言う。
-
「あれは病気でね。 真性であるからして、勘弁してやってくれ給え。」
なんかちょっと羨ましくなる、そんな昼下がりだった。
Carnation,Lily,Lily,Rose Scene.2
「あの、川嶋さんって、あのCM、本当にすっぴんで撮ってるんですか?」
-
この場に居る、もう一人の人物である、桐子(トウコ)ちゃんが聞いてきた。
それは、よくある質問、No.1の質問。 とりあえずQ&Aを読んで下さい。 って感じの質問だ。
「ええ。 正真正銘ノーメイクよ。 スポンサー的にはそれが必須条件だったみたい。」
「すごいなぁ…。 本当に、川嶋さんって、私と同じ種族に見えないです。 綺麗すぎて。」
-
「そーんなことないよ。 あたしなんて大した事無いって。」
-
嘘だ。 ルックスには相当自信がある。 可愛らしさでは大河に一歩譲るものの、単純な美しさでは
負けたと思った相手は正直、まだ居ない。
だが、女としての総合的な魅力で、勝ったと思ったこともあまり無い。 その意味では本心でもある。
「そのような謙遜は美徳とは言い難い、かな。 お待たせ致しました、姫。」
-
「あ、すいません。」 「いやいや。お仕えできて恐悦至極。」
-
M男先輩がアイスティーを持って戻ってきた。
-
「私、東京さ出て来たからには、有名人って見てみたいなぁとか思ってたんですけど、いきなり川嶋さんと
知り合えて、なんだか夢の様ですぅ。」
-
彼女はいつも訛りがでないよう、すごく気を使って喋っているが、『東京さ』とか、節々にボロが出てしまうのが可愛い。 アクセントも平坦で独特なのだが、本人は気がついてない。
「白坂嬢ではないが、実際、川嶋嬢の加盟は我がサークルにとって大変な僥倖と言える。」
「だね。 今までになく活気がでた感じだよ。」
「それと、逢坂嬢もだな。 本当に君たちを見ていると元気が出るよ。」
-
「全くだ。 姫は猫とネズミが追いかけっこをするアメリカのアニメを知っているかな? 君たちは正にあんな感じだな。 はっはっはっはっは。」 「ははははは 違いない。」
-
なんつーか、微妙な心境だ。 褒められてるのか、馬鹿にされてるのかわからない。
ちなみに、やっぱりあたしが猫なんだろうか?
言われてみればたしかに、最近やられっぱなしな気がする。
-
「川嶋さんは、逢坂さん待ちですかぁ?」
-
「え、ええ。 そうだけど。」
-
「やっぱりー。 お二人って、すっごい仲良しですよねー。 羨ましいなぁ。」
-
「は? あたしらが…」 危ない。 また悪い癖が出るところだった。 これでまたもや失敗してるんだ。
いいかげん、素直にならないと。
-
「…ん。 ま、もう二年くらい付き合ってるしね。 そこそこ仲良くはなるわよね。」
「そこそこっていうか、私、仲のいい友達って居なかったから、お二人が凄く羨ましいですぅ。」
-
「お、今日は川嶋さんも一緒か!」 突然割り込むように、明朗快活な声が響く。
会長様と、2年の女学生2人。 これで、ホールの喫茶室内最大勢力になった。
姦しい娘達の参入で、この一角もにわかに騒がしくなる。
けれど、不思議と不快ではない。
自分からはあまり話さずに、皆の話に相槌をうちつつ聞いている。
『その他大勢』になるのって、いままで無かったかもしれない。
この人達はあたしを特別扱いしない。 まるで空気のように存在感を無くしていられるのが新鮮で、結構心地いい。
「あ、そういえばさ、昨日逢坂さん、痴漢撃退っていうか、撃破っていうか、殲滅っていうか… なんか
とにかくやっつけたらしいよ!」
「えーーー! あんなにちっちゃくて可愛いのにー?」
-
…間違いなく最後の殲滅が正しそうだ。 ってか、昨日そんな事があったって、聞いてねぇし。
「ねぇ、川嶋さん、本当なの?」「え、あ。 すいません、あたしも聞いてないです…。」
ちくりと胸が痛んだ。
アイツ、なんであたしに言わないんだ?
手乗りタイガーにしてみれば、大した事じゃなかったのかもしれないけど…
やっぱり、この間の事を気にしてるんだろうか…。
大手家電メーカーのCM撮りと雑誌の撮影で、あたしが4日間家を空けた。
そして、帰ってきたその夜、またタイガーがあたしのベッドにもぐりこんで来た。
流石にしらふでは情事に至らなかったけど、アイツが抱きついてきて…
あたしは心臓が爆発しそうな位、ドキドキしちゃって、思わず突き放してしまった。
それから、あたしたちは背中合わせで寝たけど、心臓の音がバレるのが嫌で、体をくっつけるのはひたすら拒んだ。
それで、その翌日からあたしは、絶賛自己嫌悪中。
大河に寂しい思いはさせないって、決心した筈だったのに。
あたしって、とことん馬鹿チワワだと思う。
それから実に半月あまり。 大河の方は特別変わりなく接してくれてるのに、あたしが勝手にキョドってる。
今日だって、ここでの待ち合わせに、化粧品届けをだしにして、めちゃくちゃ勇気を振り絞って来たんだ。
たぶん、大河はそんなに怒ってない。 だから、あたしさえちゃんとすれば、元通りのハズ。
問題は、第一声をどうするかだ。
いつもどおり、自然に、何事もなかったかのように…。
って、いつもそればっかり考えて失敗してるんだった。
だめだ、ちゃんと具体的に考えておかないと…。 あたしの事だ、また自爆する。
(よっ、タイガー、ひっさしぶり〜。)
駄目だ、全然久しぶりじゃねーし。
(あらぁ〜 チビトラいつのまに来てたの〜 ちっちゃくて亜美ちゃん、全然気がつかなかったぁ〜)
いや、喧嘩売ってどうすんのさ。
(こんにちは、逢坂さん。)
普通だ。 これなら普通だけど、でも普段と違いすぎるってか、いつもは逢坂さんなんていわねーし。
(あら、見覚えがあるけど、誰だったかしら?)
…ママの真似してどうすんだよ、あたし。 しかも、超見下しモード。
-
(大河、痴漢撃退したって聞いたけど、本当なの?)
コレだ! これしかない。 自然かつタイムリーで更に次の会話につなげやすい。
「……しま…さん」
-
「…かわしまさん」
ん? なに? なんで桐子ちゃん、青い顔してコソコソ…
-
「くぉんのバカ犬がぁぁぁーーーーっ! 飼い主に返事もできないのかーーーーーっ!」
「んぎゃ」
脳天に電撃が走った。 なに? なにが起きたわけ? なんか頭が超イタイんですけど。
って、いまのはチビトラの声? あたし、殴られた? いきなり… いきなり…
「いきなり何しやがんだっ、このチビトラッ!」
勢い良く立って向き直る。 勢いが良すぎて座っていた椅子が倒れた。
「どーこがいきなりよ! 何回も呼んだのに、無視してんじゃないわよ!」
-
言うや否や、腕をとられた。
「ちょ、いたっ あ、あっああああっ」
「おおお、見事なコブラツイストだ。」「姫、ムリは禁物だ、ギブするんだ!」
-
「く、あっ、ぎ…ぶ、なんか…、」「うりゃ」「うあっ あああっ ギブ、ギブ、ギブッ」
-
「かんかんかーーん。 いやぁ、逢坂選手、見事なコブラツイストでした。 川嶋選手も良く頑張った。」
ひでぇ。 なんか最近チビトラの奴、手加減を知らない。
悔しいから騙してやろう。 右腕を押さえつつ、崩れ落ちる。
-
「あ、イタッ、う、腕が…」
-
「え?」
「う、動かない、よ。」苦しげに息を荒げながら、切ない声を作る。
が、刹那の隙も無く動いたのは、会長とM男先輩だった。 ヤバっ。
…高校の時の男子はバカ面さげてオロオロするばっかりだったのに…。
「大丈夫かっ、川嶋さん、「姫、冷静に痛む場所を教えろ、腕は動かすな。」」
「ば、ばかちー!」冷静な二人とは正反対に、いきなり取り乱す大河。 これも予想以上の反応。
「…ごめん、今の嘘。」 すぐにばらさないと『…なんてな。』じゃ済まなくなりそう。
「………」
うっはぁ、なんかヤバイ雰囲気? みんなマジ怒ってね?
-
「川嶋嬢、流石は川嶋安奈の娘と言うべきか。 見事な演技だったが、…関心できんな。」
「このバカ犬、どうしてくれようかしら…。」
「いや、まぁ、なんだ、アレだな。 ここは俺に免じて、川嶋さんの事はここの会計全部持ちってことで、許して やってくれ。」
「あ、それなら私、速攻許しまーす。」「わたしもー。」
「ふん。 しかたないわね。 私は空気が読めるから、許してやるわよ。 死ぬほど感謝しなさいよ。 この駄犬。」
「ふっ。 姫、このサークルの連中は、マリアナ海溝よりも深い思慮を持つ俺を除くと、皆単純でね。 その手の冗談は通じにくいのさ。」
「ご、ごめんな「ああ、そうだ! そんな事よりも、大切な話があったんだった。」
会長が私の言葉を遮る。
-
「ふむ。 読めたぞ、会長。 それは、次の企画に関する事ではあるまいか?」
-
副会長がそれを受けて、一瞬で皆の興味が移った。 助かった。 いや、助けてくれた。
うちのサークルはいわゆる『よろず企画サークル』だ。 企画、統制、管理能力を磨くといえば聞こえは良いが、
ぶっちゃけ、何でも有りのゆるいサークルだった。
「その通り。 そしてその企画には一つだけ難しい問題があるんだ。」
「だが、ここで話を出す以上は、解決可能な問題ってことだろ。 もったいぶるな。」
-
「うむ。 今回は、川嶋さんと逢坂さんにも参加して欲しいという観点から考えた。 」
-
倒れた椅子を起こし、座りなおす。 大河は… あたしの隣には座らなかった。
「特に、川嶋さんは有名人だから、街中でのレクリエーション系のイベントは少々危険だ。 だが、その知名度をプラスに生かせて、かつ、我が大学のイメージアップに繋がるイベントもある。」
「ふむ、昨年もやったな。 チャリティー募金活動か。」
-
「そうだ。他大学との協賛で実施する募金レース。 これに参加しようと思う。」
-
「なるほどな。 昨年は成績が振るわなかったからな。 ん? まてよ、それの日程って確か…。」
-
「明後日と私は記憶しているが、相違ないかね?」
-
「相違ない。 やるやらないに関わらず、一応は参加申請をしておいたんだが、今年は当初不参加の方針だった。」
-
「つまり、それが問題というわけか。 今からでは日程調整が難しい、と。」
日曜日か…。 ヤベ。 仕事夜しか入ってないわ…。 貴重なオフをそんなので潰してられっかっての。
-
「その通りだ。 で、川嶋さん、日曜日の予定はどうだろうか?」
-
「えっとぉ、たしかその日は…。」「ばかちー日中は暇だよ。」「ちょっ。」
-
タイガーの顔を睨みつけると、ふっと顔を逸らされた。
ずきりと胸が痛む。
な、なんなの…。 怒ってんの? あんな冗談、いつもの事じゃん…。
「それはよかった。 川嶋さん、ぜひとも参加してくれないか? なにせ、一年生が加入後、最初の本格的な企画だからね。 君や、逢坂さん、白坂さん達、新メンバー全員と一緒にイベントをやりたいんだ。」
断れないよね…。 だって明確な理由が無いんだもん。 これで断ったら只の我侭娘だよ。
-
「もちろん、仕事優先で構わない。 少しでいいから一緒にやってくれないか?」
「…わかりました。 日曜日は雑誌の取材だけですから、結構お手伝いできると思います。」
-
「ありがとう! 川嶋さん! さぁ、みんなも、他のサークルメンバーにこの件を伝えてくれないか? 我々、執行部はこれから詳細を詰める。 小道具や、衣装も用意しないとな。 さぁ、忙しくなるぞ。」
あたしは、不敵に笑う会長の顔を見て、なんとなく、ゴミを見つけたときの高須君の姿を連想してしまった。
それで、つい大河の方を見たけど、やっぱり、大河はあたしと目を合わせてくれなかった……。
悶々とした気分で、その日の夕刻から、撮影が始まった。
あたしは上手に顔を作って、いつも通りに撮影は進んでいたが…。
-
「つっ。」
右肩を中途半端に上げて止まる。
肘を肩より上に上げようとすると、肩に鋭い痛みが走った。
自然と肩を庇いながらになってしまい、写真家は敏感にあたしの変化を捉えた。
「どうしたの、亜美ちゃん。 急に表情が硬くなったな。」
「え? いえ、なんでもありません。 大丈夫です。」
それから10分ほど経った頃。
写真家は撮影の切り上げを決意した。 もちろん、それはあたしが期待通りに動けなかったから。
いくら、最近売れているといっても、こういうのは致命的。 撮影中止なんて、よほどじゃないと起きない。
モデルがダメで撮影中止なんて、少なくとも、あたしは聞いた事が無かった。
ちゃんと仕事に向けて体調管理するのは、プロなら当然なんだから。
運の悪いことに、この写真家は変人との誉れも高いが、それ以上に実力者として高名だった。
今日の一件では、あたしに相当悪い印象を持ったに違いなかったし、そういうのは直ぐに業界内を駆け巡る。
調子の好い時こそ油断しちゃだめだって、ママに言われたばかりだったのに…。
憂鬱な気分でマンションについた。 今日はあたしの家事当番だけど、帰りが遅くなるから夕食は各自で、
ということにしてた。 そんな事にほっとしている。 正直、何もやる気が起きなかったから。
そうして、やっと自分の様子が把握できてきた。
…そうか…あたし、結構へこんでるんだ……。
マンションの共用区画に入っているコンビ二で、おにぎりを一つだけ買って部屋に戻る。
肩の事は、大河に気付かれちゃまずい。 あいつことだ。 必要以上に責任を感じて、ギクシャクするのは目に見えてる。
「ただいま。」 自然と声は小さくなった。
-
「おかえり。 早かったじゃない。 もっと遅くなると思ってたわ。」
「ん。 亜美ちゃん天才だから、撮影、サクッと終わっちゃったの。」
「はぁ? また何調子こいてんだか。 本当はなんか失敗して追い返されたんじゃないの?」
ドキッとして、反撃が遅れた。
「ば… ばっかじゃね、亜美ちゃんがそんなへまするわけねぇっつの。 どっかのドジトラじゃあるまいし。」
いつもなら、ここで更に反撃がくる筈なんだけど、この日は違った。
「あんた…… どうしたの? まさか、本当にへまして追い返されたんじゃ…。」
「だぁから、あたしがへまなんかするわけないって言ってんの!」
怒鳴ってしまった…。 これじゃ図星ですって言ってるようなもんじゃん…。
「ばかちー… あんた…。」
ちくしょう。 そんな目で見んな!
あたしは逃げるように自分の部屋に閉じこもった。
なんであたしはいつも、こんなにカッコ悪いんだよ…。 畜生、畜生、ちくしょう…。
そして、その夜も次の日の朝も、大河とは顔を合わせなかった。
朝、起きると右肩の様子は更に悪化していた。 肩と水平の高さにしても痛む。
鏡を見たが、外見上はわからない。 腫れないところを見ると、骨や腱には異常がなさそうだ。
昨日の冗談が本当になってしまった。
その上、大河とは決定的にギクシャクしてしまっている。
なんか呪われてるみたい…。
この右手の様子ではノートを取るのすら苦労しそう。
でも、下手に病院にいったら、大河に気付かれてしまう。 そうしたら、きっとアイツは責任を感じて…。
駄目だ。 今そんな風になったら、あたしたちの仲はうまく修復できなくなってしまいそうな気がする。
熱はもっていない。 きっと2〜3日無理しなければ治る。
そう自分に言い聞かせる。
ジムは無理だけど、幸い、この先5日間は撮影の仕事は入ってない。 それだけが救いだった。
あたしの新聞学科と大河の社会福祉学科では、主な講義をやる建物が違う。
だから、注意してれば学内でも殆ど大河とは会わずに過ごせる。
けれど、明日のイベントを控えたサークル活動だけは避けられない。
イベントの中心に、あたしの広告塔としての役割があるし。
いまさら出れないとは言えないよね…。
気乗りしないけど、いつもの喫茶室の定位置に顔を出す。
「お。 姫、やっと来たな。 早速だが、付いて来てくれ。」「あ、はい。」
-
M男先輩一人だ。
「我がサークルは大学公認サークルでね、部室を持っているんだよ。 みんなそっちに集まってる。」
聞いてねーし。 そして、そんなあたしの考えを読んでいたかのように、M男先輩は続ける。
-
「姫は携帯の番号、教えてくれてないだろう? みんなにはメールで知らせたんだが。」
「ちなみに、すこし前に逢坂さんにも姫の番号を聞いたんだが、『ばかちー』の許可なしには教えられないそうでね。」
「すみません。」
プライベートの携帯の番号はなるべく知られたくない。
今のところ、あたしの携帯番号を知っているのは大橋高校2-Cの仲良しグループだけだった。
「いや、いいよ。 職業柄そうそう教えられない気持ちも理解できる。」
時々、凄くまともなんだよね、この人。
この大学は6対4で女が多い。 だから、いい男の競争率はめちゃくちゃ高いって聞いた。
M男先輩も、もしフリーだったら、凄くもてるんじゃなかろうか…。
ぶっちゃけ、かなりカッコいい。
「ところで、『ばかちー』の語源はなんなんだ? サークル内でもかなり議論されたんだが…。 皆目見当がつかない。 教えてくれたら、俺の一人勝ちなんだが。 むろん、ただでとは言わない。 俺を自由に踏
んでいいぞ。 場合によっては鞭と蝋燭もアリだ。 どうだ、素敵な条件だろう?」
…変態じゃなければ。
「む、残念、時間切れか。 さぁ、ここが安らぎの園、我らのアイゼルネ・ユングフラウ!」
いや、あんただけ刺さってくれって。 ってか、あんなもんで安らぐのかよ。
-
「おお、川嶋嬢、待っていたぞ。 早速だが、衣装合わせをしたい。 川嶋嬢は無双のスタイルを誇っているゆえ、昨年の服が使えない懸念がある。」
-
「衣装あわせ?」
「そうだ。 募金というのはチャリティーの中でも一番難しいんだ。 バザーやアドオン形式の方が抵抗感
が無い。 だから、昨年は少しばかり工夫をした。 募金をすると、コスプレしたメンバーがパフォーマンス
をするんだ。 しかも、どの箱に入れるかで、ランダムにコスプレメンバーが変わる。」
-
「今年は、運がよければ川嶋亜美が現れる、というわけだ。 姫、頼んだぞ。」
-
「ちょ、ちょっとまってください。」 「なに、ぐだぐだ言ってんのよ、この駄犬。」
後ろから声を掛けられた。 そういえば大河の姿が見えなかったと思い、振り向く。
……やべ。 鼻血でそう。
そこにはトラの着ぐるみを着て、頬を僅かに赤く染めた手乗りタイガーが居た。
-
「おお! 逢坂さん! 素晴らしいぞ。 ワンダフル、グレート、ん〜マ〜ベラ〜スッ! 獣っ子バンザイ!」
-
あー。 会長も実は変態でしたか…。 そうですか…。
ちょー心配になってきた。 あたし、何着せられるんだ?
-
「この私がこんな格好してやってんのよ。 あんたは万年発情チワワらしく、Tバックでも、ブラジル水着でもなんでも着るがいいわ。」
-
「ちょ「そうかーーー! 解った! 解ったぞ! うわっはっはっはっはっは。 これで俺の勝利だ! 流石
俺様。 灰色の脳細胞が炸裂だぜーーー。」
な、何事?
-
「いいか、諸君。 ばかちーとは! ばかちーとはな!」
-
「バカチワワの略だったんだよ!」 「「な、なんだってーーーー!」」
なんなんだ、この人達。 わけわかんねー。 さすがのタイガーもあっけにとられてる。
-
「これで、賭けは俺の勝利だ、約束の品、貰うぜ。 ……俺が―――三角木馬だ!」
…一瞬でもカッコいいとか思った自分が恥ずかしい。 M男先輩、あんた死んでいいわ。
-
「阿呆どもは放っておくがよろしかろう。 さぁ。川嶋嬢、こっちに更衣室がある。 付いて来給え。」
スポーツ系のサークルの為なのか、簡単な更衣室があった。
グラウンドの近くにあるのとくらべると随分しょぼい。 でも、あたし達のサークルメンバーだけなら十分。
「逢坂嬢のコスチュームは即決だったのだが、川嶋嬢は難しいな…。」
「副会長、バニーはぁ?」
「木下嬢。 昨年それを着た君はサイズぴったりだったな。 打ちひしがれたいならサイズを確認してみるかね?」
-
「あははは。 泉ちゃんは今年もバニーになりまーす。」
-
2年の木下さんは、あたしと大河をこのサークルに引きずり込んだ面子のうちの一人だ。
いつも一緒にいる川上さんと上下コンビと呼ばれているけど、あたしには何となく、麻耶と奈々子を連想させる。
-
「でもでも、やっぱ亜美ちゃんはエロイ路線でいこうよー。」
-
「だめじゃない? たしか川嶋さんって水着封印の方向だよね?」
-
そう。事務所が出した方針で、あたしの水着は封印された。 ただ、昔から看板モデルを務めてるファッション誌だけは、水着特集で着るけれど。
「はい。 アンオフィシャルでも、水着はちょっと…。」
「ふむ。 ならばあれなどどうだろう。 昨年私が着たものだが、丈がやや長いものの、着れん事もあるまい。」
「あーー、いいかも。 なんか超似合うんじゃなーい?」
-
「あ、エルフのお姫様の衣装!」「そうそう、それ。」
へぇ…。 それなら、ましかも。
「あったあった。」
お、なんかひらひらしてて結構可愛いかも。
「ばかちーにはもったいないわ。 やっぱあんたはバスガイドをするマイケルジャクソンで十分よ。」
桐子ちゃんに手伝ってもらって着ぐるみを脱いだ大河が憮然と言い放つ。
-
「バスガイド… あはははははは なーに、それ。 おもしろーい。 亜美ちゃんそんな特技あったんだー。」
「んな特技、ねーっつの!」
そんなこんなで結局、あたしの衣装はエルフのお姫様になった。
できれば、試着は遠慮したかった。 右肩が痛いのがばれそうだから。
けれど、衣装合わせというからには着ないわけにもいかず、細心の注意を払ってなんとか着ることが出来た。
副会長だけはすこし怪訝そうな顔をしたけど、とりあえずその場では何も言わなかった。
あたしと、大河、それに、上下コンビと桐子ちゃん。
-
5人の衣装が決まって、あたし達は部室へ戻ろうとしたんだけれど…。
「川嶋嬢、すまん、ちょっと手伝ってくれ。 ああ、他の者は先に戻っていてくれ給え。」
-
副会長に呼び止められた。
やば…。 ばれた、かな。
「川嶋嬢…。 解せんな。 その右手、どういう事なのかね?」 この人には嘘は通じなそう。
「最初は…。 本当に痛くなかったんです。 でも、夜になったら急に…。」
「医者には?」 「行ってません。」 「逢坂嬢は?」 「気付いてないと、思います。」
「ふぅ…。 逢坂嬢には教えたくないのかね? 彼女のせいで、君は肩を痛めたのに?」
「確かに、大河のせいですけど、わざとじゃありません。 でも、あいつは必要以上に責任感じるやつだから…。」
「だが、間違いは間違いだ。正すべきものは正さねばならない。 逢坂嬢が君を怪我させた事実は伝える必要がある。」
「そ、そんな、待ってください。 そんなの、あたしがいいって言ってるのに、勝手な…」
「逢坂嬢の為にならん。 川嶋嬢、君は間違っている。」
「やめてください! そんな事したら、アイツ、アイツは!」
じっと見つめられた。 鋭い、凍りつくような視線。 でも、でも負けられない。 睨み返してやるんだ!
「は、ははは。 あっはっはっはっは。 全く困った娘っこだな。 よかろう。 内緒にしておいてやる。 だが、医者には今すぐに行き給え。 後のことは私が誤魔化しておいてやろう。」
「…ありがとうございます。」
-
「礼には及ばない。 いずればれるであろうからな。 その時が少し伸びたに過ぎん。 それより、さっさと医者にいけ。」
-
医者にはモデルだから、湿布とかは出来ないといって、結局、痛み止めを注射してもらった。
翌日の昼くらいまでは持つらしい。
案の定、特に酷い怪我ではなく、一種のムチ打ちらしい。 若いから3日もすれば動かせますよ、と軽く言われた。
けれど、その3日が辛い。
-
「ばかちー、そういえば今週、ジム行かないんだね。 どうしたの?」
「え、えっと、別になんとなく、だりぃってか、面倒っていうか。 ま、一週くらい休んだって平気だって。」
「…ふーん。 そうして油断してるとブタになるよ。」
「…平気だって。」
なんとか誤魔化す為に、やっぱり大河と距離をとる羽目になってしまう。 悪循環だ。
大河は何度も話しかけてくれたけど、あたしはそっけない対応しか出来なかった。
翌朝、大河はなにか言いたそうな顔をしてたけど、あたしと目が合うと言えなくなるようだった。
やばい感じだ。 こんな経験なら、今まで何度もある。
あたしが性悪を晒してクラスで孤立すると、それまで仲のよかった子が、こんな反応をする。
話したそうで、でも周りの目があるからできなくて、そして、結局、口を利かなくなるんだ…。
いやな感じのまま、集合場所についた。
今回の募金活動の場は神宮前、明治通りと青山通りに挟まれた地域、すなわち、表参道付近だ。
場所によって、通行人の層が大きく変わる、難しい地域でもある。
タイガーは直前まで着ぐるみは未着装だが、あたしたちはマントやらポンチョやら羽織って怪しさ満点だった。
他の大学の人達も思い思いの趣向を凝らしているようで、集合場所の神宮橋は異空間になっている。
「おい、あれ、川嶋亜美じゃね?」
あっちゃー気付かれた…。 うぜぇ。
「え、マジで。」 「誰?それ。」 「ほら、あれ、すっぴん美人って」 「なんだよアレ、めちゃくちゃ可愛くね?」
「おのれ、三田村、卑怯だぞ!」
「ん〜、なにかな? 負け犬の遠吠えは、実に甘美な響きだなぁ、うあっはっはっはっはっはっはっはっはぁ。」
「ちくしょー、助っ人とは反則だぜ!」
「ぷっ。 ぶわっはっはっはっはぁ〜! 愚か! 愚か! 愚か! 助っ人? 助っ人だと? 川嶋亜美はなぁ。
我がサークルの正式な構成員なんだよ、このミトコンドリア共め! ぅあははははははははははははは。」
-
「……M男、うざいわ。 叩き潰してやろうかしら。」 タイガーはすでにM男呼ばわりしてる。
「三田村先輩って、他の大学にも知り合い多いんですねぇ…。 凄いなぁ…。」
「ってか、なんで司祭のかっこしてんの? 昨日あんな服あったっけ?」
「す、すみません、たぶんあれ自前ですぅ。 昨日私、『全身タイツとボンテージと司祭服どれがいい?』って聞かれて、司祭服って答えちゃいました…。」
-
「…桐子ちゃん。 今回の最大の功労者は間違いなくアンタよ。 私が保証するわ。」
-
「あたしもそう思う…。」
「でも、今思えば『普通の服』って言えばよかったような…。」
「「……あ」」
この馬鹿げた人物のお陰で、あたしとタイガーはかなり救われてる気がした。
こんな風に、自然に会話に入れるのは、M男先輩の奇行があってこそだから。
「さぁ、まもなく国家権力に届け出た時間だ、移動を開始するぞ。」
会長が宣言して、いよいよ募金レースが開始された。
募金が開始されると、とりあえずタイガーの人気が凄かった。 小さい子達と、一部の大きなお友達に熱狂的に支持された。
まぁ、当然だと思う。 あたしだって鼻血でそうだもん。
木下先輩もスレンダーでスタイルはかなりいいから、バニー姿にスケベな男共は大興奮。
川上先輩の看護婦姿も好評だったし、桐子ちゃんの浴衣姿も、うなじの破壊力は抜群だった。
で、もちろん、あたしも久々で自分に酔ってしまったわけで。
最近、ちょっと自信喪失気味だったけど、改めて自分の綺麗さが確認できて、正直、超気分が良かった。
それにしても、タイガーはヤバイ。
お昼時、着ぐるみを脱ぐとまた着るのが大変だから、あたしと桐子ちゃんで世話をしたんだけど…。
手が肉球になってるせいで、タイガーは自分で物を持てない。
副会長と桐子ちゃんが作ってきたお弁当を食べさせてもらっている。 もう、その時点であたし的にはアウトだ。
「そーせーじ。」
「はい。あーん。」
「あーん。」 はむはむはむ。
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「たまごやき。」
「はい。あーん。」
「……………」
勘弁してくれって。 まじであたしを萌え死にさせる気かっての。
「ばかちー、なにしてんだ。 ジュースちょうだい。」
「な、なに偉そうに言ってんだよ、チビトラ。 なんであたしが…。」
「じゃ、川嶋さん、私が。」 「あ、桐子ちゃん、ご、ごめんね。」 「いいえぇ〜。 はーい、逢坂さん。」
「ばかちー…。 ん、」 ごっきゅごっきゅごっきゅ。
結局あたしはタイガーのあまりの可愛さに直視すらできなくて、桐子ちゃんが一人で世話をした。
タイガーが時折寂しそうな顔をするのに、あたしは素直になれなくて、ついそっぽを向いてしまう…。
あたしって、全然成長してないな、と思っても、言葉がどうしても出てこなくって…。
午後になっても、あたしは極力右手を使わないことに集中して、タイガーの事は努めて気にしないようにした。
そして数時間が経って、ついに予定の時間が終わる。
あたしたちのサークルは、明らかに他のサークルよりも人が集まっていた。
皆、大成功を確信し、明るい顔だった。 けど、あたしだけは少しだけ暗い顔をしてたのかもしれない。
副会長があたしを見る目線が、なんとなく、そんな物を見る感じに見えたから。
夕刻、大学に帰ってきて、ひとまず部室に戻った。
戻るや否や、あたしは副会長に用事を頼まれた。
それは少しばかり時間のかかる用件で、あたしが部室に戻ってきたら、副会長しか居なかった。
「いってきました。 あ、れ? 副会長、みんなは?」
「男共は資材の片付けであろうな。 コスプレ組は着替えにいったよ。 わたしも衣装の片付けにいくが、
逢坂嬢が君の分のお茶を買いに行っている。 合流したら、手伝いに来てくれ給え。」
彼女はそう言って部屋を出て行ってしまった。
部屋にぽつんとのこされて、なんか皆ちょっと冷たいな、なんて思っていると、大河が戻ってきた。
「あ、ばかちー、あんた忘れられてたみたいよ。 お茶の数足りなかったの。 飼い主として、仕方ないから買ってきてあげたわ。」
そう言って、タイガーは何気なくミニペットボトルをあたしに放ってよこした。
取ろうとして―――
ベコン、ゴロゴロ。
右手が上がらなかった―――
床に落下して転がるペットボトル。
あたしは一瞬固まってしまう。
急いで誤魔化そうとしたけれど、なんて喋ったらいいのか思いつかなかった。
怪訝な顔をした大河は、あたしの顔を見た後、ハッとした表情に変わる。
「あ、あんた、まさか右手…。」
「な、なに?」
「ちょっと手、貸してみなさいよ。」 タイガーはそう言い放つと一息に詰め寄ってくる。
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「…いやよ。」
「貸せっていってんでしょ!」
「いたっ!」
「やっぱり…。 右手上がんないのね?」
拙い。 …ばれた。
「な、なんでもないよ。」
「なんでもなくない! 私がコブラかけたからなんでしょ? 私がっ! ………私が、ばかちーを怪我させたんだ…。」
「そ、そうじゃなくて、これは……」
「もしかして、仕事でへましたのも、そのせいなの? 私がばかちーを怪我させたからっ、だからっ」
「ちょっと、あたしの話も聞きなさいよ」
「それで、ばかちー、最近変だったんだ…。 私がこんなだから…。 いっつもばかちーに頼ってばっかりなくせに……
だから、私と一緒にいるのが嫌になったんじゃないの? だからっ!」
「いいから、話聞けってっ!」
「だって、最近ばかちー、おかしかったもん! すぐに目線そらしたり! 挨拶上の空だったり! 今日だって、ずっと
キョドってたじゃないさ! いつだって、いつだってそうなんだ。 私が欲しいものは、壊れちゃう。 私が欲しいものは
いつだって、手に入らないんだ! だからっ! ばかちーの事は欲しいって思わないようにしてたのにっ!」
何いってんだ、コイツ。 なんでそうなるんだよっ!
「やっぱり! やっぱりダメだった! ばかちーがいなくなったら、私は…
「うるさい、うるさい、だ、ま、れーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
「はぁはぁはぁ…ちったぁ、人の話きけっつの、このバカトラ。」
深く息を吸う。
「この肩はね、罰が当たったんだよ…。 だから、気にしてない。 怒ってなんかいない。」
「…ば、ばちって なん…」「この間はっ」
「この間の夜は、突き放して…ごめん。 あたし、ドキドキして、あせっちゃって…。 ずっと謝りたかったんだ。 でも、
あたしは、あんたが言う通りバカチワワだから…言い出せなかった…。」
大河の表情が変わった。 きょとんとしてる。 ほんと、可愛い奴。
そんな大河を見て、自分でも驚くほど優しい声になった。
「それにあたし、ああいうの、嫌いじゃないよ…。」
大河はそのおっきな瞳を涙で濡らしながらも、今はその表情に悲しみは無い。
驚きと安堵だろうか。
「ばかちー… 私の事嫌いになったんじゃないの?」
「なんでそうなるのさ? そんな訳ねーじゃん。」
大丈夫。 あたしの想いは伝わる。
目を逸らさずに、ちゃんと向き合えば、
…きっと伝わる。
「あれぇ。 もう終わりなの〜?」
「ちょ、泉、おめぇ 信じらんねぇーー。」
「バカ野朗、これからって時になんてことしやがんだ、このKYクイーン!」
「「なっ!」」
びっくりした。 ってか、マジかよ。 こいつら覗いてたの?
そうか… これって…
きっとそうだ! あたしら、副会長にハメられた!
「あ、あ、あ、あ、 あん、あんた、 ら…。」
「はっはっはっは。 なに気にすることは無い、さぁ、熱いぶぇーぜを交わしたまえ。」
「うぉーーーりゃぁぁぁぁあっ!」
「ぐおぁーーーーーっ。」
一瞬の後、タイガーのフライング二ールキックが、ものの見事にM男先輩に炸裂したのだった。
その後、サークルの皆でイベント成功の打ち上げパーティーになった。
あたしは雑誌の取材を速攻で終わらせて、二次会になんとか滑り込みセーフ。
かなり適当な受け答えになっちゃったけど、どうせそのままなんて載りゃしないんだ。
それにこの間、撮影中止なんて大失敗しちゃったし、仕事なんて来なくなるかもしれなかった。
そんな事より今は、サークルのみんなと達成感を分け合いたい。
今回はタイガーもお酒は自重したようだ。
M男先輩はタイガーのフライング二ールをくらってもピンピンしてて、なんか人間とは思えなくなってきた。
なんだかんだいって、あたしもタイガーもすっかりサークルの雰囲気に呑まれてる。
それはたぶん、悪いことじゃない。
ギクシャクしてたタイガーとの仲もすっかり元通り、いや、それ以上になったと思う。
そしてカラオケで散々騒いだ後、大河と二人、弁慶橋の近くで止める気もないハイヤーを待っている。
あたしはちょっぴりアルコールも入ってほろ酔い気分。
水無月の夜の空気はちょっとしっとりして、本格的な夏を迎える前の最後の涼しさを湛える。
あたしも、大河も、しばらく前から一言も言葉を交わしてない。
けど、なんだかその沈黙が心地いい。 不思議な気分だった。
ひっきりなしに走り去る車の騒音も、なぜか気にならない。
「日付変わっちゃったね。」
不意に大河が呟く。
「昨日はどんな日だった?」
「色々あったけど、楽しかった。」
「だね。 あたしも楽しかったかな。」
「…かえろっか、ばかちー。」
時折赤い文字が流れる道路わきで手を上げる。
ほどなく、車が滑り込んで、
「今日は、一緒に寝よっか?」
無意識に唇からこぼれていた。
車の窓に映った大河の驚いた表情は、開くドアに一瞬で連れ去られる。
「…犯すなよ。」
「……それはこっちの台詞だっつーの。」
Scene.2 - Cut -
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